『 夜惑い 』
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白哉が躑躅の花弁を手に物思うていた頃。
彼の逡巡の相手は、同じく思案のただ中にいた。

小さな明かりが灯る工房で、緋真は慣れた手つきで轆轤(ろくろ)を回し、形成を終えた粘土を更に整えていた。しかし眼からはいつもの真剣さが欠けている。
「緋真」
「はっ、はい? どうしたの、おばあちゃん」
傍らで同じ作業をしていたすゑが声を掛けると、びくりと手を止めた。ようやく目の前の作業に意識が戻ったという様子だ。
「どうしたのじゃなくて、高台(こうだい)、削りすぎだよそりゃ」
「あ・・・ご、ごめんなさい」
「ほれ、自分で持ってみな」
一見、粘土の塊には何ら問題がないように見える。だがすゑがろくろから花器を外して緋真に手渡すと、思わしい重量から僅かに軽い。底の部分を削りすぎたのだ。このまま予定している色の濃い釉薬を使えば、完成時に全体の均衡を崩す。
緋真は自己嫌悪の溜息をひとつ吐くと、すゑの差し出した瓶にその花器を入れた。水で軟らかな状態に戻して、また最初からやり直しだ。もやもやとした心を器に映すなど、こんな失敗は久しぶりだった。全く、・・・らしくない。

「どした?」
特に失敗を咎めるでもない声ですゑが聞くと、「なんでもないの」と緋真は首を横に振った。
なんでもないのにアンタがそんな失敗するかい、とすゑは言おうとして、止める。一度思いつめると彼女は根が深い。すゑは今夜の作業を密かに諦めると、椅子を寄せ、自分と緋真の湯飲みを二人の間に置いた。
「そういや今日はおかしな日だったね。孝太のアホタレのせいとはいえ、死神がウチで茶ぁ飲んでいくなんてさ」
「うん。本当にあの方には申し訳ないことしちゃった」
「怒ってはいない様で良かったよ。・・・凄く分かりづらい表情の兄ちゃんだったけど」
「そうね・・・ふふ」

緋真は珍客が妙な顔で躑躅の花を咥えていたのを思い出し、くすくすと笑った。あんな体の大きな男の方が、ちょこんと花の蜜を吸っている姿が可愛らしく感じられて。失礼とは思うけれどそれがひどく親しげに感じられて。しかも、その人が死神だなんて。そして更に、恐らくは――・・・
「あの人は・・・貴族なんでしょう?」
緋真が静かに呟くと、「どうして分かった?」とすゑ眼を丸くした。
「洗ったお召し物からお香の良い匂いがしたから。だから、確証はなかったけど・・・高貴な方なんだろうって思ったの。あとは、お話していて何となく」
「そうかい。朽木家の・・・当主だってさ」
「・・・そう。そんなに偉い死神さんだったのね、あの人・・・」
緋真は自分に言い聞かせるように呟くと、ふと眼を伏せた。
すゑは手にした湯飲みを置くと、何かを決したように口を開いた。
「ひとつ・・・あんたに、訊きたいことがあるんだ」
自分で切り出したにも拘わらず、ひどく言いづらそうに言葉を紡ぎはじめる。
「死神を・・・奴らを、恨んでいるかい? お前をこんな下層区に放り込んだのは奴らだ。せめてもう少し平和で食べ物のある地区だったら、お前は・・・」
「おばあちゃん」
きっぱりと、仮定を切り捨てるようにすゑの言葉を切ると、緋真は真っ直ぐ顔を上げた。強い意志の表情、しかしどこまでも悲しい瞳で。
「わたし、誰も恨んでない。恨んでいるのはわたし自身に対してだけ。あんな事をしてしまったのは、全てわたしが――――」

「おばあちゃん、緋真ちゃーん! 絵付けの絵の具、白が足りないよー!」
続けようとしたその時、隣の部屋から大きな声と共に、孝太と幸枝が駆け込んできた。
緋真はそれまでの真剣な声音をかき消すように、「はいはい。今出すから待っててね」と務めて明るく言って椅子を立つ。
「おばあちゃん、白のって右の棚だっけ?」
「ん、ああ・・・。そうだよ、奥の方」
「はやくはやく、緋真ちゃーん。すーぐ無くなっちまうんだよー」
「孝太がまた使いすぎたのよ! 大体いっつも塗りすぎるから。緋真お姉ちゃんもそう思うでしょー?」
「え、あ、うん・・・」
びくり。幸枝の何気ない言葉に、緋真の体が小さく揺れた。
「あーっ、お前、緋真ちゃんをお姉ちゃんって言っちゃいけないんだぞー」
「え、あっ、ごめんね緋真おね・・・緋真ちゃん。約束破っちゃった・・・」
「・・・ううん、いいの、気にしてないよ。でも、わたしの事は、お姉ちゃんって言わなくていいからね・・・」
「はい、緋真ちゃん!」
緋真が絵の具を渡してやると、子供達はまた騒がしく自分の作業場に戻って行った。
「こらこら、騒ぎまくって乾かしてる茶碗落とすんじゃないよー!」
すゑが声を上げて注意し、緋真を見ると、彼女は思い出したように新たに粘土を捏ねる準備をしていた。今からやれば作業が夜半にかかるのは確実だが。
「これからやるのかい?」
「うん・・・失敗した分だけは、今夜じゅうに乾かせる状態までやっておかないと。おばあちゃんは子供達と先に休んで?」
明るくそう言うが、その指先は少しだけ震えている。すゑは何かを言おうとして口を開き、やはり止め、「・・・あんまり、無理するんじゃないよ。早く休むんだ」と、月並みな言葉だけで緋真に背を向けた。
「うん。おやすみなさい、おばあちゃん」
「おやすみ、緋真」

戸を閉められ、ひとりきりになった作業場で、緋真は真剣に土を捏ねる。
「・・・わたし・・・」
水に晒されていた粘土は冷たく、力が要る作業だ。ふと手を止めて土色に染まった両手を見ると、細かに指が震えている。
しかしそれは土に手が麻痺したからではない。自分の心に響く、無邪気な声のせいである。自ら手放しついに聞くことのなかった妹の声で、『おねえちゃん』という幻聴が胸を刺す。
緋真は強く手を握り、頬を伝い始める涙にすら気づかず、

「わたしには・・・お姉ちゃんだなんて呼ばれる資格・・・ない」

ひとつ自分自身の心に告げ、ふたたび冷たい土に向かい始めた。



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