※オリジナルキャラ・独自設定を交えて書いてあります。これらが苦手な方はご注意下さい。




朽木白哉には、死神になって間もない頃から未だ変わらぬ奇妙な習慣がある。

自邸の広い庭にて、春、初咲きの躑躅(つつじ)の花をひとつだけ手折り、静かにその蜜を吸うのだ。


もう数十年を義妹として過ごしているルキアは、幾度かその光景を目にする度に不思議と思い、首をかしげる。
なぜなら義兄は辛いものを嗜好し、甘味などは公の会食の際、水菓子に手をつける程度である。ましてや草花の蜜などをわざわざ。

味覚に関しては個人の好みであるし、またおいそれと声を掛け辛い雰囲気にある義兄のこと、なぜそんな事をするのか理由を問うなどルキアは考えたこともない。
また、そうして花を愛でているような白哉の行為はまるである種の秘め事のように思われて、足を踏み入れることなど許されないようにも思われた。

ただ義兄のその姿はそのまま木々に融けいってしまいそうに静謐で美しく、毎春、庭に佇む義兄を目で無意識に探すのが、ルキアの密やかな習慣にもなっていた。


その白哉の行為にはこうした背景がある。



『 花惑い 前編 』
  − brother sun, sister moon 1 −



数十年前、春、瀞霊廷。

桜は散ってしまったが、続き咲き誇る花々の香りに、巷の空気は満たされていた。
春の息吹を新鮮に感じた頃もそろそろ遠く、百花繚乱、咲き乱れる色彩に目も慣れ始めた頃。


まだ冬のさ中に居るかのように表情を硬く締めた男が、六番隊舎の回廊を歩いていた。
すらりと背が高く、鍛錬を欠かさぬ者特有の鍛えられた体つきだが、決して大柄とはいえない。むしろ線が細い印象すら与える。

後に牽星箝とよばれる竹管を着けることになる黒髪は、この頃はまだ何も着けず、肩をやや越すほどの長さで、顔や首の膚の白さを際立たせている。
しかし全く軟弱な雰囲気でないのは、彼のその眼の所為だろう。鋭く、高貴な光を湛えた眼である。
漆黒の死覇装は他の死神と変わらないが、その眼差しが明らかに他と彼とを隔絶させていた。

朽木白哉、六番隊第三席。
ちょうど一年前の春、護廷十三隊に配属されたばかりであった。


やわらかな午後の光が差し込む中、季節の移ろいになど頓着するまいとばかりに、白哉は黙々と歩を進める。
足音を立てぬ生まれながらの優雅な身のこなしと、平素からの無表情ゆえ、ひとめ見れば普段通りの彼の姿のようにも思われる。しかし、纏った気配は明らかに剣呑、といった体であった。
通りすがった隊員達が、その姿を見ては慌てて廊下の隅に寄り会釈をする。中には怒りの気配を察し、「ひっ」と小さな悲鳴を上げた者すらいた。
それらの態度が今の彼には油を注ぐものであったが、いつもの通りに目礼を返すのみで、また苛々と歩み去った。

白哉が隊舎の玄関に着き、草履を履いて土間を後にしようとした時、背後から「朽木三席、」と男の声があった。
「何でしょう、副隊長殿」
振り返れば、そこには白哉と対照的に大柄な男性の死神の姿がある。
「隊長から聞きました。流魂街に視察に行かれるとの事で」
「はい。西流魂街下層区の治安について調査を任されました。住民の生活状況について簡潔な報告書を上げよとの命です」
「それはそれは、」
白哉よりはかなりの年配の副隊長は、慇懃に過ぎるそぶりで言った。
「気をつけて行っていらして下さい。何せ流魂街の住人といえば瀞霊廷での道理が罷り通らぬ粗暴の者ばかりですゆえ。ましてや、朽木三席ほどの高貴な方には尚更のこと理解できぬ処でしょうから」
「・・・」

明らかに悪意を含んだ言だった。しかも、立場上は目下である白哉が何も言えない事を見越しての。
白哉は答えず、ただ会釈をひとつ返して隊舎を後にした。

その場に残された六番隊副隊長は、白哉の背中が遠くなったのを確認して、
「・・・若造が。四大貴族だから何だというのだ、図に乗るなよ」
小さく呪詛を吐き、踵を返して執務室へと戻った。



 ●



白哉は死神統学院を卒業し、六番隊に入隊すると同時に第三席の地位を任ぜられた。

新人としては異例の三席就任であったが、それを耳にして驚いた者は誰もいない。
白哉は瀞霊廷で知らぬ者ない四大貴族・朽木家の一粒種であり、統学院在学時に父親が病死して当主の座についていた。
若くして一族を統べることになった白哉を、所詮貴族の坊ちゃんよ、と朽木家の今後を揶揄する向きも周囲にはあった。

が、これらの予想に反して白哉は若年ながら一族を纏め上げる統率力と、何より必要とされる死神としての技量を発揮し、学生の身でありながら当主としての地位と存在感を見事に示してみせた。

故に、白哉は六番隊入隊と同時に席官、それも三席に就いたのである。
それまで新人隊員が入隊と同時に副隊長に就任するという前例が無かったため、山本総隊長および中央四十六室に三席の地位を用意された訳だが、純粋な剣の実力でいっても既に副隊長の力量をも備えているのではないか、と人々は噂した。
(因みに、白哉以降、草鹿やちるが卒業と同時に十一番隊副隊長に就任することにより、新たな例が作られることになる)

力量を伴った人事ゆえ、公に異を唱える者はいない。
しかし、それは不満が皆無だったことを意味しない。ある者は妬み、またある者は貴族の優遇と感じ、そしてまたある者は将来の自分の地位を危ぶんだ。白哉に嫌味を投じた六番隊副隊長もこの一人である。
突如として直属の部下となった白哉を、この男は表面上はごく丁寧に、しかし本心でははらわたを煮えたぎらせつつ迎えた。
年下の部下とはいえ四大貴族の現当主である白哉に対して、やはり表立っては不満を吐露しない。しかしことある毎に、海水が砂浜を浸むごとく、『おれはお前など認めぬ』という意をじわじわ発していた。

白哉も勿論それを理解していた。が、下手に自分が気を遣えば日に油を注ぐことは明白だった。故に卑屈になることなく、あくまで通常の部下が上司に対してとるような態度をとっていた白哉だったが、それがまた副隊長の癇に障っていた。しかし白哉としてはこれ以上とるべき手立てもなく、ただ、同僚と副隊長の敵意ある視線をやりすごしていた。

また、それを瑣末で下らぬこと、とそ知らぬふりをする自分が如何にも貴族生活に染まりきったように感じられ、多少の苛立ちを感じていた。


入隊以後、そうして一年。関係はじわりと悪化したまま、再び春を迎えた。



 ●



南流魂街・第七十八区・戌吊。
春の花の匂いにここでは腐臭が混じる。夕刻でもないのにしきりに烏がガアガアと喚いているのは、どこかに何かの屍があるせいか。犬か猫か、それとも人の屍肉か。この秩序なき下層区では、どんな事もありうる。

先程六番隊舎を発った白哉は、苛立つ気配を隠さぬまま犬吊の路地を歩いていた。
ろくに砂利も敷かれていない道は排水路が整備されていないため、泥がぐちゃぐちゃと草履に張り付く。空までいやに湿気を孕んだ曇り模様である。
不快だ、と白哉は思った。

今にも朽ち果てそうな粗末なあばら家が立ち並び、人々は精気がないくせに眼の奥は獣のようにぎらぎらと光らせ、突如現れたこの死神を戸の隙間から凝視している。
獣の眼だ。流魂街に足を運び、彼らのその眼を見るたびに貴族として生きてきた白哉は思う。

本日、白哉に与えられた仕事は『流魂街の視察』。
六番隊の業務とは直接関係のない、あたり差し障りのない命令だった。現六番隊長が白哉と副隊長の接触を避けるために設定した、いわば実の無い仕事である。この一年、ずっと白哉はこうした空虚な任務を単独でやらされている。
いずれ機が熟し、白哉が副隊長に昇進すればこれらの確執も解決する。ならばその時まで白哉には他の隊員と接触せぬ適当な業務を任せておけばいい、という六番隊長の考えによるものだった。

白哉もそこは理解している。しかし、理解することと納得することはまた別問題である。ましてやこの頃、白哉はまだ少年期を終えて間もない。幾ばくかの苛立ちを完全に封じ込めるには、まだ若すぎたのであった。
塵のように積もった怒りが長く尾を引き、自分にとっては羽虫に等しく弱いこの流魂街の住人の視線にすら、らしくもない憤りを感じる。

或いはこの臭いのせいか、と白哉は思う。清潔という言葉と掛け離れたここ戌吊は、据えた臭気が漂っている。垢じみた人の体臭。汚物と臓物の腐臭。呼吸をする度に鼻腔にこびりつき、思考を麻痺させるかのようであった。
清浄な瀞霊廷に慣れた白哉にはそれが堪らない。ましてや空虚な任務でわざわざここに居なければならないのだから、尚更のことである。
白哉は泥を踏みながら、苛々と歩を早めた。中身の無い視察であるが、せめて一刻も早くに勤めを終えてこの心かき乱す腐臭から逃れよう。意識に上らずとも身体がそう願い、歩調は自ずと速くなった。


小さくみすぼらしい家屋が立ち並ぶ路地を抜け、辻を曲がる。背中にいつまでも住人の空ろな視線を感じていた。
家屋の密集地を通り過ぎ、かろうじて郊外、と呼べるような場所まで白哉は来た。春だというのに生気の無い荒地に、ぽつぽつとあばら屋が立っている。いずれもいつ建てたものやら知れぬ古い家ばかりで、朽ちかけた垣根の向こうでいまにも崩れそうである。
道の端にはみすぼらしい老犬が痩せた肋骨を晒して横たわっている。何もかもが惨めだ。ここも先程と同じか、と白哉は思った。鼻の奥にはまだあの悪臭がこびりついている。


堪えるように歩みを進めていた白哉だが、ふと、ある家の垣の傍で足を止めた。
あの据えたような臭いが消え、芳しい香りがほのかに漂っているのだ。花の匂いに似ていた。
垣根の破れ目に視線をやると、桃色の躑躅が鮮やかに綻んでいる。明らかに人の手によるものだろう、適度に剪定をされ、枝に満遍なく蕾をつけてここだけ春を映し華やかだ。
戌吊に足を踏み入れてから花など目にしたのは初めてではなかろうか、と白哉は思った。あるいはこの地区の住人にも、風雅を解し花を愛でる住人がいたのか。
さきほど感じた香りはこの躑躅のものかと思われた。だが、微妙に違う。何か他の匂いが混じっているようだ。白哉はすぐにそれと思い出せず、逡巡をする。遠い記憶の中にある、どこか懐かしい香り・・・

この時白哉が記憶を手繰り、沈思に我を忘れていたのは、彼にしては全く珍しいことであった。
常時張り詰めている筈の気配を緩め、目の前に起きることにも何ら意識を向けなかったこの一時、突如として、その家から人影が飛び出してきた。
「へっへん、幸枝の馬〜鹿! 悔しかったらここまで来てみろー!」
「待ちなさい孝太ぁ! 返してよ、もう!」
子供であるらしかった。垣根の切れ目、門とおぼしき場所から、年の頃なら八・九歳といった少年と少女が、勢いよく路地へと走り出てくる。

丁度、出入り口にいた白哉はごく自然に子供達とぶつからぬように一歩下がった。確かに子供らとぶつかりはしなかった。だが。
ぴしゃ、と。
小さく音を立てて、白哉の死覇装の肩口に、水のようなものが飛んだ。黒い死覇装に僅かに染みが広がる。
先に飛び出してきた男の童の手には墨をたっぷり含んだ筆が握られていた。駆けて腕を振った際に、墨が飛んで白哉のいる辺りまで飛んだのだ。
「あっ!」
「え? どうしたのよ孝太、急に立ち止まきゃっ!?」
少年がまず死覇装姿の死神がいるということ、そして、自分の筆から墨が飛んだことに気がついて身を凍らせた。後を追っていた少女も、少年の様子に最初は怪訝そうな顔をしていたが、直後、白哉の姿を認めて顔が青ざめていく。
二人とも流魂街にしては珍しく着古してはいるが垢じみていない着物を着、活発に見えた様子だったのだが、その顔がみるみる驚きと恐怖に染まっていく。そもそも流魂街で死神の存在は恐れられている上、粗相までしでかしたのだ。
さらに、刃のような鋭い目をした白哉は彼らにとってはひどく冷徹な人物のように思われた。

「・・・」
白哉は何も言わなかった。怒りのためではない。自分がらしくもなく一瞬気を抜いていたことに、戸惑いに似た感情を覚えた。普段の自分なら容易にかわせた筈のところを、この香りに意識を奪われるとは、何と不覚なことであるのか。白哉は子供のことなど気にかけず、寧ろ自分に呆然とした。
「ああぅ、あご、ごめん、なさ・・・」
黙って叱る様子がない白哉がかえって恐ろしいのか、少年はぺたりと地面に座り込み、今にも泣き出しそうな目で震えている。少女も同様だ。
さて、どうしたものか。たかが死覇装に墨の飛沫が飛んだだけ。無礼には違いあるまいが、さりとて年端もいかない童相手に怒る由もない。子供の扱いに慣れていない白哉が目前で恐怖に震える子供達の扱いに困り、かるく眉根を寄せた時。

「ま・・・待って下さい!」
突如として、先程二人が出てきた家から、ひとつの人影が走り出して白哉と子供らの間に滑り込んだ。

女性である。とはいえ、少女といってもいい位の背格好に見えるが、声の響きには無邪気さを捨てた大人特有の落ち着きがあった。子供らと同じに年季の入った着物を着ているものの、小汚なさはない。
「この子達が何をしたのか知りませんが、どうか、どうかお許し下さい!!」
その女性は震える子供達を庇うように、白哉の前に立ちふさがった。言葉は完全な懇願だが、凛と白哉を見据えた大きな瞳は『絶対に危害は与えさせない』と、そう主張している。
とはいえ白哉が怖いのは確かなのか、きゅ、と引き結んだ唇の横を脂汗が流れていき、肩までの黒髪がひとすじ、頬に張り付いた。

「・・・」
さて。どうしたものか。
今度こそ白哉は戸惑い、ただ彼らを無視してこの場を去ろうかと考えた。
しかしふと、先程彼女が走り寄って起こした微風に、先に思いを馳せていたあの香りを嗅いだ気がし、ふたたび思考が止まるのだった。



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