『 とこしえの陽光 後編 』
  − brother sun, sister moon 2.5 −




奇妙な交流が続いていた。
四大貴族の当主と流魂街の平民。本来縁など持ちようのないこの二つの存在の間で、あくまで細々と、しかし途切れることはなく。

白哉が菓子を持って流魂街の陶器工房を再訪した日から、時は既に数ヶ月。
彼は二週に一度、または週に一度。自邸の書庫から数冊の本を持ち出しては、すゑの家にいる子ども達に届けに行っていた。

もとはなんの縁も無かった下層区の庶民宅に、なぜ貴族の当主たる自分がたびたび赴いているのか。白哉はこの理由を、ただ道理を通すためと考えている。

彼がすゑ達に借りを作ったのは事実である。たとえ相手が貴族である自分にとって取るに足らない存在である庶民だろうと、いや、相手が庶民であるからこそ、正統な恩義と礼を示さねばならぬ。
貴族の貴族たる高貴な道理。形骸のみに止まらぬ精神の本質を、彼は幼い頃から母に教え込まれていた。平民の出でこそなかったが、市井と人をよく理解した、賢い女性だった。
そして彼は、実に真面目に実に実直にこの教えを守り通している。これが、白哉が流魂街にまで足を伸ばして小さな約束を果たし続けている理由の一だった。


そして、もう一つには。
白哉はすゑや子ども達や、そして緋真と接するのを――けして不快と思わず、むしろ自ら望んで、彼らに本を貸しに行っていたのだった。
自身でもその理由をわれ自覚せぬまま。

彼の学生時代、父親の病死に伴い当主を継承した数ヵ月後。
同じく四大貴族である四楓院家の姫君で刑軍統括軍団長・四楓院夜一が、禁令を犯した十二番隊長の逃亡を幇助して現世に出奔。それと同時に彼女の職籍も永久に抹消されることとなった。
四楓院家のみならず、四大貴族に激震が走ったことはいうまでもない。
先んじて大貴族の頸城を抜けていた志波家に続き、四楓院家までもがこうして権威を落す。既に名前だけの大貴族だった他の二家を除くと、歴史ある四大貴族の名を正しい形で保っていたのは朽木家だけになったのである。
幸い、若いながらも跡目を継いだ白哉の力量は充分。醸し出す雰囲気と見目の良さも手伝ってか、あれよあれよの間に周囲はこの若当主を大貴族の長とみなすようになった。

しかしこれも貴族側から見た環境である。平民、流魂街出身者も多く含まれる死神階級の中では、彼の肩書きは畏怖の対象にこそなれど、けっして人を寄せ付けるものではなかったのである。
加え、白哉には隊長・副隊長との確執がある。心身ともに申し分のない実力の白哉だが、双肩に掛かった矜持と現実との格差に、自覚せぬ疲れを感じてもいたのである。
じつに、この頃の彼は自身で考えている以上に、ひとりの青年だったのだ。

そのような中での思わぬ平民との所縁である。
頼まれた書籍を貸しに行く度に、『ありがとう』と向けられる子どもらの屈託の無い笑顔。
陶器職人であるせいか、美術骨董の分野に含蓄のあるすゑとの会話。
そしてただ静かに茶を振舞い、時折、他愛の無い会話を交わす緋真とかいう女との空間。
彼自身われ知らぬまま、犬吊のすゑ宅では厳つい表情が僅かに緩む。怜悧だった声音に人の温かみが滲み始める。
もとは偶然がもたらした関係であったが、白哉にとって確かな安らいのひとときになっていたのだった。

そうしてひと月、ふた月と暦は捲られ、季節はゆっくりと巡った。
彼らが偶然に出会った躑躅の季節はとうに過ぎ、秋も過ぎ、朝に一面を白くする霜に冬の気配を感じる頃になっていた。



  ●



朝からの曇天。
この季節にもなると晴天よりも雲のある時の方が温かく感じるというに、今朝はなおも底冷えのする寒さ。

早朝からの勤務を終え、午後浅くに隊舎を後にしようとしていた白哉は、鼻の奥にきいんとした特有の渇きを感じた。・・・雪が降る前触れ。夕刻にでも、初雪になるだろうか。
白哉は無意識のうちに、手にした風呂敷包みの中身を思った。これから幾冊かの書物を流魂街のあの家に届けにゆくのだ。濡れねば良いが。希少な本でもなし、傷んでも特に惜しくも無いが、読めぬ状態になったらきっとあの者らは残念がるであろう――
つらつらと。考えるでもなしに白哉が風呂敷を抱えながら歩んでいると、廊下を曲がったあたりで声を掛けられた。

「これはこれは、朽木三席」
かねてから白哉を白眼視している、副隊長の木城だった。相も変わらずのつくり笑いを顔に貼り付け、慇懃に白哉に声をかけてきた。
「お早いお帰りですな」
「・・・本日は早い時間の当番でしたもので。引継ぎは既に完了しました、お先に失礼致します」
白哉は早々にその場を辞そうとした。わざわざ嫌味に付き合って双方嫌な思いする由もない。なにより、雪が降る前に本を届けねば。
一礼だけして足早に木城の脇を通り過ぎようとした時。
「お・・・っと」
ちょうど木城の肘のあたりに風呂敷包みがぶつかり、ゆるい結び目がほどけてばらばらと中身が床に散らばった。男二人が余裕ですれ違う程に廊下が広くなかった所為か、それとも白哉が僅かながら心乱されていたか。
「失礼を。こちらの不注意でした」
「・・・や、こちらの失礼でもある。落ちて傷んでいないといいが」
故意ではなかったようだ。木城は思いのほか驚いた声で謝ると、どちらともなく本を拾い始めた。

それから互い黙々と体を屈めていると、拾った書物の折れた項を直していた木城が「これは?」と、一冊の本の半ばあたりを開き、間から何かを取り出した。

破れ紅葉だった。なんの変哲も無い、薄い儚い一葉。だが無彩色な晩秋の空と黒衣の瀞霊廷のなかで、その緋色はひときわ白哉の目を引いた。
「あなたの栞ですか?」
「・・・」
一瞬、なぜ自分の書にそのような物が、と白哉は思いを巡らせて、すぐに思い当たった。木城が手にしている本は、以前自分が緋真に貸した本だった。
手許に帰ってきてから暫く後に、彼女から『実は忙しくて半分も読めなかった』と聞き、今日ふたたび持参してやるつもりだったのだ。おそらくは、最初に貸した時に紅葉を栞がわりに挟み、そのまま忘れていたのだろう。

思い至った白哉はひとまず木城からそれを返して貰おうと思ったのだが、彼はなぜかその紅葉を手にしたまま、じっと見入っている。その顔からはあのにやにやとした笑みが消えていた。
「朽木三席はこれをお使いに?」
いや、これは本を貸した人物が・・・そう言いかけて止め、ええまあと曖昧に白哉は返した。
すると木城は紅葉を見て一瞬、ふ、と素のままに微笑むと、
「・・・懐かしいものですな」
と言って、手の中の紅葉を白哉に渡した。どこか、名残惜しげに。
「懐かしい・・・というと?」
思わず発した白哉の問いに、木城は僅かな照れを顔に滲ませ誤魔化した。
「・・・いえ、統学院に入る勉強をしていた時、私もよく破れ紅葉を栞に使っていたので」
高価で立派な栞なんて持っている訳はないから、身の回りにはそんなものしか無くて、と付け加えた。
「左様でしたか・・・」
確かこの木城、出身は流魂街だった。何番区かまでは白哉は知らないが、平民にとって統学院入学のために学ぶ環境が整っているわけはない。そう、丁度すゑの所にいる子どもたちのように。
白哉は自然、木城の手に目がいった。年齢以上に節くれだち、癒えなかったあかぎれの痕があちこちに残っていた。・・・自分を目の敵にするこの男も、推測できようもない苦労と研鑚を重ねて副隊長にまで成ったのだろうか。
考えを巡らせつつ揃った書物をまとめると、白哉は軽く礼を言って失礼します、と会釈をした。
「・・・よく休まれるが宜しい。それでは」
返された木城の言葉は再び慇懃な声音に戻っていた。だが、以前ほど重い空気は感じられなかった。



 ●



白哉が戌吊にあるすゑの家に着いた頃には、空はさらに鈍色を増してして冷たかった。

遠目からすゑ宅を見ると、門前で誰かが忙しく落ち葉かきをしている。緋真の姿であるらしい。木枯らしに時々肩を縮めながらも一心に掃除をしていた。
相変わらずどよりと雲は重かったが、彼女が忙しく働いている空間だけは、ほの明るく見えるようだった。

「あ・・・こんにちは」
やがて緋真は近付いてくる白哉の影を認めると、ぱたぱたと駆け寄り頭を下げた。
「寒い日なのに、ようこそおいで下さいました」
「・・・また、書物を持ってきた」
白哉が持っていた包みを見せると、緋真は顔を綻ばせて礼を言った。
「ありがとうございます。粗末なところですが、中へどうぞ。すぐ温かいものをご用意しますので・・・」
風に晒され赤かった頬がさらに紅潮している。余程、本が嬉しかったのだろか。いつものように表情を変えない白哉だが、向学心強い緋真の姿勢にふと僅かに目を細めると、 「・・・ああ。頂戴しよう」
と、短く答えて厚意に応じた。


家の中は静かだった。
緋真の語るところによると、今日はすゑと子ども達は街はずれの断崖に粘土を探しに行っているのだという。冬の間に使う原料を揃えておかなければならない、ということだ。
あの日、偶然により初めてここを訪れた時には躑躅が満開だった。秋深い今は花の名残は全くないが、どういうわけか、今なおこの家は白哉にとってこうして温かい。
白哉は緋真が淹れてくれた茶を飲みつつ、この日持ってきた本を渡した。子ども向けの幾冊かに加え、以前緋真が読み終えられなかった書を差し出すと、彼女は大層恐縮した。
「すみません、ありがとうございます、今度は是非きちんと最後まで読ませて頂きますね、本当にすみませんわざわざ・・・なるべく早くお返ししますから」
「ゆっくり読むと良い。ところで、・・・これはお前のものだな?」
感謝と謝罪を繰り返す彼女に、栞に使われていた先程の紅葉を見せると、まるで葉の色そのもののように顔が赤くなった。
「は、はい! わたしのです! すみません勝手に大事なご本にこんなものを挟んで、しかもそのままにしておくなんて・・・」
自分の失態に一層混乱した様子の緋真に、白哉の意外な一言がかけられる。
「・・・これを私にくれないだろうか?」
「え・・・?」
「風雅で、悪くない。見習いたく思う」
「は、い・・・」

白哉は袂から懐紙を取り出すと、丁寧に紅葉を包み、また袖口に仕舞った。流れるような自然な所作だった。予想外の彼の所望に驚いていた緋真は、思わず白哉の振る舞いに一瞬、魅入った。
はっと緋真はわれに返ると、男性を見つめるなどという行為に気恥ずかしさとはしたなさを感じ、無理に話を変えた。
「あの、わたし、前から思っていたのですけど・・・、白哉さまのお名前は、素敵ですね」
「名前が?」
「この間貸して頂いたご本に書いてありました。現世のとても寒い地域で太陽が沈まないことがあり、それを白夜というのだと。日が沈まない夜がお名前だなんて、とても素敵」
以前、孝太と幸枝が借りていた本を緋真も読んでいたのだった。現世の自然や社会の仕組みを平易に解説した図鑑で、彼女も夢中になった。特に尸魂界では存在しない『白夜』という現象が彼女の興味を惹き、なによりその書物を貸してくれた主の名と同じことばが出てくる、という偶然が緋真にはことさら印象深かったのだ。

が、楽しげにそれを語る彼女を前にし、当の白哉は顎に手をやり、何かを考えているようだった。自分はうかれて喋りすぎただろうか、緋真が不安に感じ始めたその時、ようやく白哉はぽつりと
「・・・違う」と、否定の言葉を口にした。
「え?」
「字が違う。私の名はお前の言う『白夜』ではない」
白哉は机の端に放り出してあった子ども用の筆を取って、水入れに軽く浸した。そしてそこいらに無造作に放られていた半紙にさらさら、あっという間に、
『白哉』
と、記した。
「日が沈まぬ意の白夜という文字ではない。この字を書くのだ」
「え! ご、ごめんなさい!」
「別に、・・・構わぬ」
「でも・・・漢字を間違えるだなんて、わたしったら本当に失礼なことを・・・」
「構わぬと言っている。・・・以後、正しい字で覚えていてくれたらそれでいい」
「は、い・・・」
特に気を悪くしたふうでもなく、白哉はふたたび茶を啜った。

『以後』。
俯いた緋真の耳に、白哉の発したそのひとことが残る。以後、つまりそれは、本の貸し借りが今後も続いてくれるということであり。この青年との繋がりが今この場限りで終わらないでいてくれるということであり。勿論白哉は特に含む意などなく、何気なく言った言葉であろうことは緋真も分かっていた。
それでも、何気ない白哉の言葉に安堵した自分自信に、緋真は驚きを隠せなかった。

持て余した自分の感情を振り払うように緋真が顔を上げると、ふと視界の端、窓の向こうにひらひらと舞うものが見える。
「・・・降ってきましたね」
「ああ」
今年の初雪だった。
小さな綿菓子のような。親指の頭ほどの白い雪が音もなく空から舞い降り、見る間に庭の地面を覆っていく。灰色のどよりとした雲から降ってくるというのに、何故こんなにも雪の結晶はましろなのか。
緋真はそのようなことを考えながら、ただじっと庭が白く染め上げられていく様を見つめていた。
白哉も同じく外を眺めていたが、ふと、「・・・冬だな」と、極くあたりまえの事実を口に出した。緋真もええ、と優しく応える。
「冬は好きか?」
「はい、雪が綺麗で。でも・・・陽が短いのが少しわたし、寂しいです」
「寂しい?」
「ええ。冬の夕暮れはすぐに暗くなってしまいますから。先程言っていた陽の沈まない夜があれば、一晩中でも雪を見続けられるのに」
「・・・成程、な」
緋真の答えを聞いて、白哉はどこか納得したように腕を組むと、

「・・・私の名は『白い夜』の字の方が良かったのかも知れぬな」
緋真も聞き漏らしそうな声で、そう呟いた。

「え?」
今、なんと? 緋真が真意を聞き返すよりも先に、白哉は軽くかぶりを振って、腰を上げた。
「・・・いや、戯言を言った。忘れてくれ」
その一言で全て完結させてしまったように、白哉は外套を羽織り、帰り支度をはじめた。

白哉が玄関を出ると、空からは絶え間なく雪が降っていた。ひと粒ひと粒が大きな牡丹雪。すぐに肩へと積もってゆく。
地面は既にうっすらと雪に覆われていた。柔らかなそれに足跡を残しながら、白哉はゆっくりと帰り道を歩み始めた。



 ●



緋真は玄関で白哉を見送ったあと、部屋へ戻った。
子どもたちもすゑも、そして白哉もいない室内はいやに寒く静かに感じられる。雪が降っているからだけではない。
緋真はすゑ達の帰りを案じながら、机の上を片付け始めた。
机には白哉が新たに持ってきた書が数冊と、自分が読みさして紅葉を挟んだままだった本が一冊、そして、白哉が自分の名を記した半紙が一枚。
緋真はそれを手にとって改めて眺めた。そして、先程まで傍にいたこの字のあるじを思い出す。

自分の忌むべき過ちを知らぬまま、自分と共に雪を眺めてくれたあの青年を。

ぎしりと。
緋真の胸が軋んだ。

逡巡は、わずか一瞬。緋真は半紙を手にとると、思考よりも衝動で動いていた。縁側に放り出されていた子どもの草履を突っかけると、雪の中へと駆け出す。

「・・・・・・待ってください!」
視界を染める白い闇の中で白哉の背を認めると、緋真は声を上げて呼び止めた。
振り返った白哉はすこし驚いた様子で、追いかけてきた彼女に歩み寄った。
「どうした」
「わたし、あの、お話ししておきたいことが・・・」
思わず飛び出しては来たものの、言葉が出ない。そもそも何故自分はこの青年に真実を語っておきたいのか、迷惑ではあるまいか。迷いと、なにより語ろうとする内容の重さに、彼女の心は萎縮した。

そうして緋真が悶々と話しあぐねる間にも、肩に、頭に、つぎつぎと雪が降り積もっていく。静かに待っていた白哉はその様子を見て、首を振った。
「次の時に聞くことにしよう」
「・・・でも、」
「今日の雪は湿っている」
緋真の長い睫毛に掛かった大きな結晶の塊に、ゆっくりと大きな手が伸びる。
「・・・風邪をひく」
咄嗟に閉じた目蓋の先を、まるで壊れやすい硝子細工を扱うように、白哉の指がやさしく雪を払っていった。

その感触を、温度を感じたか、どうか。唐突で優しい所作に緋真は驚いて目を開く。
そこには、雪降りしきる世界の中に、白哉が自分だけを見て立っていた。
その表情が僅かに微笑んでいたように見えたのは、冬の夕闇が緋真に見せた錯覚だっただろうか。交わる視線に、瞬間、緋真の心は痛ましく跳ねた。

「あ・・・」
言葉を発しあぐねる緋真の前で、白哉は踵を返すと、
「また来る。・・・お前の淹れる茶は美味い」
それだけ言って、歩み去った。

静かに自分に知識を与え、優しく自分に降り積もった結晶を払ってくれた青年の背中が遠ざかる。雪に残されたその確かな足跡を、みるみる雪が埋めていく。
緋真は我に帰り腕に何かを抱きしめていたのに気が付いた。無意識にかき抱いていた先程の半紙。それを、雪に濡れぬように気遣いながら開く。

そこには彼の人の名が、彼自身の手による筆で記されている。
粗末な筆と粗悪な墨で書かれたにも拘らず、丹精で美しい文字で「白哉」と、彼女のいとけない間違いを正すために。
「わたし・・・」
降りしきる雪に溶けていくように消え行く姿を見つめながら、緋真は言い出せなかった言葉を口に乗せていた。

「・・・わたしには・・・貴方様に優しい言葉を掛けて頂く価値などない・・・人間なんです・・・」

しばらく緋真は、半紙を抱いたまま立ち尽くしていた。やがて白哉の足跡が雪に埋もれ消えてしまうまで、寒さになど構わずにただ紙片をかき抱いて佇んでいた。
その間にも静寂のうちに雪は降り積もり、辺りを、全てを白く染め上げてゆく。

そして、深い夜がくる。



 ●



同日。深夜。
雲間からようやく月があらわれた。既に降り止んだものの、朽木邸の庭はこんもりとした雪に覆われて静かだ。
清家は自室の文机に向かっていた。夜遅いというに帳簿やら何やらに目を通していると、ふと風がひと筋、吹き込んだように思われた。行燈の光がささやかに揺れる。
同時に襖の向こうに人の影が生じた。音はなかった。
「小平也、」
書類に向き合ったまま、清家はその者の名を呼んだ。声を掛けられた影は即座に低いささめき声で応じる。
「はい」
「ひとつ、調べて貰いたい事がある。・・・至急だ」
「はっ」

風が強く吹いた。襖からすき込んだ風で行灯が一瞬消え入りそうなほど揺らめき、それから一層強い光を放った。
その反射を受け、老人の眼鏡がちかり、光った。



 前へ  次へ


     HOME
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送