『 宵闇に狂ふ 四 』
  − brother sun, sister moon 3(of confession) −




吹雪の夜は明け、遅い陽が上るころには青空が広がった。積もった雪粒ひとつひとつが日光を反射し、辺り一面をきらきらと輝かせている。ぴりりと寒いが、青空が目に爽やかな朝だった。

すゑは新雪を踏みながら、家の生垣の辺りで何かを待っていた。
住宅の周りで雪かきをしている孝太と幸枝は首をかしげる。普段ならば自分が先頭に立って朝から働いている筈のすゑが、こんなに早くからまんじりともせずに誰かを待っている。
加えて、朝から緋真がいない。いや、正確には二人が朝起きた時には既に緋真はおらず、どこに行ったのか分からない。
二人は子供心ながらに不穏な空気を感じ、厳しい目をしたすゑに何も訊けぬまま、懸命に目の前の作業をこなすだけであった。

と、子ども達の視線の端になにやら黒いものが映る。
「なんだあれ・・・? どっかで火ぃ焚いて灰でも飛んできたのかな?」
「ううん・・・違うよあれ、ちょうちょだよ、黒いあげは蝶!」
二人の声を聞いて、通りを見つめていたすゑの表情が変わる。驚いたように二人が指す方向を見やると、視線の先では黒揚羽がひらひらと冬空を飛んでいた。寒気にもかかわらず弱った様子はなく、まっすぐこちらに飛んでくる。
すゑがどこか慣れた手つきで中空に右手を差し出すと、まっすぐにその指先に止まった。それと同時に蝶は無機質な女の声を発する。

『御宅のご息女様は体調を崩されたご様子のため、昨夜一晩当家にお泊り頂いております。後ほど輿にてお送り致しますのでどうぞご心配召されませぬよう 朽木』

「すげえ! この蝶しゃべった!」
「しゃべったしゃべった! でも、何言ってたのか全然分かんなかっ・・・、え、あれ、おばあちゃん?」
幸枝がふと傍らにいるすゑの方を向くと既にその姿はない。見回せば、急いで家の中に入るのが見え、やがて衣装箪笥をひっくり返すような音が聞こえてきた。


 ●


朽木邸の庭の一角には簡素だが手入れの行き届いた離れがある。もとは先代の当主が詩歌に没頭するために建てられたものであり、それゆえか庭園の中でも最も静かな場所に佇んでいる。

その、もっとも日当りの良い部屋で緋真は眠っていた。傍らには、死覇装束で身動きもせずに座し、彼女を見守る白哉の姿がある。
吹雪明けの陽光溢れる朝とは裏腹に、緋真の寝顔は苦悶の後に満ちている。熱などはないというのに時折苦しげに息をつき、小さく口を開いては何事かを呟いている。何を話したいのかは聞き取れないが、悔恨の言葉であることは表情が物語っているようだった。

「・・・緋真」
名を呼ぶが、反応はない。
手を伸ばしてそっと頬に触れる。火を熾して温かい筈の室内だというのに、ひやりと冷たい。白哉は、あの時緋真が流した涙もすぐに冷えていったことを思い返した。

遊里のはずれで心を衝くような過去を吐露した後、彼女は慟哭のうちに意識を失った。
白哉は万一、何がしかの病を案じて自邸のこの離れに運び、女中のなかでも信頼のおける者に世話をさせた。無論、清家の耳には入れぬようにと重々含め置いて。
まだ夜も明けぬうちに信頼のおける匙を呼んで診させたところ、熱や病気ではないという。だが、医者は眠っている時も続く緋真の苦悶の様子を、心因性のものであろうと診断した。
彼女の心を占める悔恨。昨夜の告白が白哉の脳裏に蘇る。実の妹を捨てたという、彼女の痛ましい過去を。

「旦那様。お客様にございます」
ふと、襖ごしに声がして我に返る。使用人の気配に気付かぬなど、白哉には全く珍しいことだった。
促せばうやうやしく開かれた襖の向こうに、きっちりと上品な小袖に身を包んだすゑが現れた。商売人に与えられる特殊通行許可証を帯に挟んでいる。すゑは緋真の姿を見とめると一瞬はっとし、無言のまま中に入った。
すゑがこのような上等な着物を、しかも一縷の隙もない立ち居振舞いで着こなしていたのが白哉には疑問に思えたが、ひとまず女中に人払いを命じ、二人のみとなる。緋真を間に挟んでしばし沈黙が訪れた。

「・・・よく」
先に口を開いたのはすゑだった。
「よく、あたしが地獄蝶の使い方を心得ていると分かったね」
「以前貴方が暴漢に襲われた際、まったく怯んだ様子がなかったので」
白哉が二度目にすゑの家を訪問した際。井戸の水を使わせろと無礼を働いた者相手に、すゑは萎縮するどころか挑発していたのである。
「容易に撃退する能力をお持ちだったかも知れぬと思い至りました。そうして気付けば、貴方が注意深く霊圧を殺しているのがわかりました。・・・故に、かつて死神の職に就いておられたのかと」
「・・・そうかい」
すゑは寂しげに微笑んで肯定する。またしばしの沈黙の後、白哉は深深と頭を下げた。
「昨夜は、失礼なことを申しました」
「その件に関して謝るのはあたしの方さ。あえて混乱させるようなことをしたんだから。・・・ただね、ただ、真実をあたしの口から話すことだけはできなかったんだ。絶対に緋真が自分で話さなきゃならないこと・・・。そのぶんだと、・・・聞いたようだね」
「はい」
「そう、か・・・」
すゑは眠る緋真の髪を梳く。辛い過去を、自らの罪を、どうしても告げねばならなかった彼女の苦しみを思い遣りながら。
それは血の繋がりなど関係のない祖母の顔であり、また母の慈愛の表情でもあった。優しく緋真の額を撫でつつ、訥々と語る。
「あたしが緋真に初めて会った時にね。この子は死のうとしてたんだ」
「な・・・」
思わず声を上げそうになった白哉に、すゑは「静かに」と眠っている緋真を指差す。
「死のうとしていた・・・死をそのまま受け入れるつもりでいたんだよ。この子が妹を・・・手放して、間もなくの頃だった」

忘れもしない五年前の春。
その頃はまだ一人で細々と製陶をしていたすゑは、犬吊の路地の片隅で蹲っている緋真を見つけたのだという。
大丈夫かと問うても返事をしない。とりあえず意識はあるようだし、こんな所にいては危険でもある。すゑは彼女を自宅に連れ帰ろうとしたが、少女は何故か激しく抵抗する。そして『優しくされる資格はないのだ』と呟いた。すゑはその言葉が気にかかり、なかば引きずるようにして力ずくで連れ帰った。

霊力があるが故に飢えているようだから、とにかく水と食べ物を、とすゑは彼女に勧めた。だが、緋真は蹲ったまま空ろに一点を見つめるだけで、一向に口にはしない。食べるように強く言っても、弱弱しく首を振って拒否する。
困り果てたすゑは言った。『どうしても死にたいんなら止めはしない。ただ、理由は訊かせて貰わなきゃあたしも困る』と。
すると緋真は迷った末、消え入りそうな声で数日前に自らが妹を捨てたこと、探しても探しても見つからないことを告げた。取り返しのつかないことをしてしまった。どうしたら良いのかわからない。死ぬことより他はあの子に報いる方法が見つからない。・・・だから、どうか放っておいて欲しい。そう結んだのだ。

すゑが緋真の頬を張ったのは、後にも先にもこの時だけだ。
驚く緋真にすゑは声を荒げた。ふざけるんじゃない、死んで報いるとかあんた何様のつもりだい、と。
怒りの口調とは裏腹に、すゑは強く優しく緋真を抱きしめ、諭した。
『・・・生きな!! 死んで楽しようなんざ思うんじゃない、あんたは生きるんだ! 妹の死体をあんたは見たかい? 死んでるなんてわかんないじゃないか、あんたが探し続けてやんなきゃ、誰がその子を救えるんだい!! そりゃ死んだらあんたは楽だろうさ。・・・だけどね。それは可能性の最後の一つすら放棄することなんだよ。あたしはそんなの許さない。あんたは苦しかろうが何だろうが全部背負って這いずり回って、絶対に絶対に生きるんだよ!!』
抱きしめられたまま緋真は呆けたように目を見張り、そして泣いた。乾いた身体のどこにこのような水分が残っていたのかと思うほどに大粒の涙を流しながら、すゑが手渡した握り飯を食うた。嗚咽の間に噛み締め、飲み込み、また泣いた。
その間もすゑは彼女の背をさすりながら、『それでいいんだ。食べなければならない、食べて生きて、妹を探そう。・・・一緒に・・・』 ―――そう言い聞かせ続けた。

そうして、緋真はすゑのもとで生活を始めたのである。
生活のために製陶を初歩から学び、体力がつくと時間を作っては方々へ妹を探しに出るようになった。花街へもすゑが護るようにして共にに出かけ、やがて伝助という協力者も得る。
緋真は妹を探す際、路頭に迷っていた子を二人見つけた。すゑはその子らも『家族』として迎え入れ、賑やかになる。
子どもたちは緋真を慕った。緋真も二人を慈しんだ。だがけっして自身を『おねえちゃん』とは呼ばせなかった。穏やかに暮らしながらも時折、物陰で声を殺して泣いた。

・・・罪の意識は深く緋真の心を抉っていたのだ。『家族』と貧しくも平穏に暮らす日々。しかし常に意識の隅には罪悪感が巣食う。―――いや、緋真は意識的にも無意識的にも自分の過ちを留め置き続けていた。己の今の生活が安定しているからこそ、捨て置いた妹を忘れることなど我が身に許さぬ、と。
たとえば孝太らのいとけない悪戯に微笑む。すゑの軽口に笑う。それはまごうことなく安らう時間の筈なのに、安寧に身を置けば置くほどに、緋真の心は苛まれた。日に日にその欠落は深く、大きくなっていったのである。


すゑは静かに、深い溜息をついて白哉を見据えた。この気丈な女が見せたことのない、寂しげな眼であった。
「・・・結局、あたしが選ばせたのは生き地獄だったんだよ。緋真が捨てたという赤ん坊が生きてるかどうかなんて確証は全く無い。その不確かな可能性を無理矢理に使って、苦しむのを分かっていながら・・・あたしは緋真を死なせなかったんだ」
「・・・・・・・・・」
眠る緋真の額を撫ぜるすゑの手は優しい。だが、慈しまれても尚、深い苦悶の影は消えない。初めて会った時に白哉が見た、躑躅の蜜を吸って笑った微笑の欠片はない。
「いつも楽しそうに笑っていたものと・・・思いました。特に、あなたの傍では」
「・・・緋真があたしの前で心から笑えたことなんて、一度として無いよ」
すゑは俯いて首を振る。
「この子は優しいから、あたしに心配かけないように無理して笑って、子ども達を不安にさせないように明るい顔をして・・・無理ばかり・・・」
最後は声が掠れた。すゑは緋真の肩口に布団を引き寄せてやると、ふたたび緋真の髪を撫ぜた。まるで、普段ならば労りを拒む緋真を、今だけは存分に慈しんでやるかのように。
「・・・あたしに緋真の悲しみを薄れさせてやることはできないんだ。せいぜい、無理しているのを支えてやることしかこの子は・・・させてくれない・・・」
悔しげな、悲しげなすゑの所作を、白哉は黙して見つめていた。
「すゑ殿」
ふと改まった声で白哉は口を開くと、すゑに向き合い、深深と頭を下げる。
「・・・お礼申し上げます。この娘を・・・緋真を、死なせずにいて下さったことを」
「な・・・」
瑣末な同情でも、安易な親愛でもなく。この感情を何と呼ぶべきか未だ白哉は判らずにいるが、ただ、この少女の自責と後悔に己の心はともに陰り、それでも今を生きていることに安堵するのだ。故に、白哉はすゑに感謝をする。
「・・・やめておくれ。緋真の為に何もできてはいないんだ、あたしは。むしろ、辛い道を歩ませて・・・」
「それでも、」白哉は頭を下げたままで続ける。
「それでも・・・あなたが助けなければ、緋真はひと時の安らいすら得らなかった。違いますか。それに、私は緋真が生きていて良かったと思っている」
「・・・」
白哉の眼に偽りはない。けっして自分を気遣う為に言っているのではなく、本心から、緋真のことを想っているのだとすゑは知る。


「白哉様。恐れ入りますが、・・・そろそろお支度を」
襖越しに女中の声がした。来客中のため遠慮がちだが、きっぱりと出立を促している。
早朝に来客があろうとも、死神である白哉は護廷の務めを休むわけにはいかぬ。少し間を置き、白哉は返した。
「・・・分かった。すぐに参る」
白哉はすゑに向き直ると、「申し訳ないのですが、私は出仕せねばなりません」と軽く頭を下げた。
「いや、こちらこそ緋真が世話になったね。・・・色々と、済まなかった」
すゑも深く頭を下げ、「そして、ありがとう」と加えた。


 ●


白哉はすゑ達の為に輿を用意させる旨を伝え、退席した。すゑと緋真のみの部屋は静寂に包まれる。近くの本邸では数多くの使用人らが働いているというのに、この離れは立地が良いのか静かだった。僅かに緋真の辛そうな寝息が聞こえるが、邪魔するものが無いためか呼吸は幾分穏やかになってきた。すゑは白哉の緋真に対する心配りに感謝した。

寝顔を見下ろせば、その頬は僅かにこけ、滲み出る苦悶が痛々しい。・・・無理もあるまいとすゑは思う。自らが過ちを犯したという過去を、誤解の果てに語らざるを得なかったのだ・・・ましてや、自分が懸想している相手に。
只でさえ己が心身を削り続ける真実を話した彼女の憔悴を思うと、すゑは目頭が熱くなる。
「・・・辛かったね。偉かったね・・・」
話し掛けるが、緋真は辛そうに眠るのみである。いや、起きていたとしても彼女はけっして自分に対して向けられた労りを、素直に受け容れることができない。茨の道を素足で歩み、常に痛苦の中にいることしか緋真は望まない。それが、彼女にとっての妹への贖罪なのだ。
すゑは思う。何故この娘がこのような責め苦に遭わねばならぬのだ。いかな余殃(よおう)により肉親を捨てるという業を背負わねばならなかったというのだ。
もしも、この世に自分も知らない神とかいう存在が在るのならば、自分は地に伏し希(こいねが)う。
頼むから。頼むからもうこれ以上、緋真を悲しませないでやって欲しい。自分が救えることなど限られているのだ。自分はただ緋真がひととき眠りにいる時だけ、こうして手を擦ってやることぐらいしか出来ぬのだ。

すゑは緋真の想い人である白哉を思い返す。
彼は緋真の過去に対して軽蔑の念を抱いてはいないようであった。寧ろ深く情を呑んでくれたというべきか。すゑが見るに、白哉が何がしかの感情を以って緋真に接しているのは明らかである。まだ恋慕と言えた物ですらないかもしれないが、彼が緋真を大事に想ってくれているという事実は、すゑの心を安堵させた。
しかし問題は緋真本人である。
想いが実るか、結ばれるかは別の事にしても、緋真が白哉を想い続ける心は、確かに緋真自身の救いとなり得る。
だが彼女が目を覚ましたその時、今回の件により白哉への思いを自ずと断ち切ってしまったならば、もう其処で全ては終りなのである。それは、それでは余りにも―――・・・

ふと、この離れの玄関からこちらの部屋に向かって足音が聞こえる。すゑはただならぬ気配を感じ、身を起こした。
近付いた足音の主は許可もとらずに襖を開ける。小柄で、長い髭が温和な印象を与えるが、眼鏡の奥の光は鋭い。
朽木家の年寄、清家信恒だった。昨夜言い争った白哉が何事も無かったかのように帰宅し、いつもと同じに勤めへと出て行った。不審に思いながらも主人を送り出した清家は、小間使いから何故か早朝に白哉が離れへと足を運んでいた、という旨を耳にしたのである。更にきつく問いただすと、その際に侍医も呼んでいたということだ。清家は直感し、離れへと急いだ。そして、人に調べさせた『犬吊の少女』と、その養い親に対面することになったのである。
「・・・ここで、何をしておいでか」
清家は伏している緋真とすゑをじろりと見ると、努めて押し殺した声で訊いた。
「ここを何処か分かっておいでか。流魂街の下人が上がり込んで良いところでは・・・!」
「これはこれは、」
すゑは清家が重臣であること、自分たちの存在を快く思っていないことを察すると、畳に手をつき丁寧に頭を下げた。
「仰るとおりにございます。下賎のわたくしどもには勿体ない手厚いご対応。まこと御宅のご当主様にはなんとお礼を申し上げればよいか」
口上も所作も、実に堂に言ったものである。清家が伝え聞いていた緋真らの情報では下層区である犬吊の住人ということだったから、どのような下卑たものどもかと思うていたのだが。目の前のこの初老の女性は、全くもって貴族階級の女のような物腰であった。
当初、件の人物が離れにいると聞いた清家は、当主と係わり合いを持ったことを責め、金輪際朽木家に近寄ること罷りならぬ、ときつく言い渡すつもりであった。だが、すゑの堂たる立ち居振舞いに、彼は責める口を失ったままでいた。何ぞ情報の行き違いであったのか――そう清家が思うていると、すゑは婉然と微笑んだ。
「この度は、花街で荷を売っていた娘が体調を崩していたところをご当主殿が見つけ出し、こちらにお連れ下さったのだそうでございます」
「花街で、荷というと?」
清家は射抜くような視線で緋真を見る。矢張り、昨夜の白哉の誤解はこの人物が自分たちを調べた所為かと、すゑは密かに眉根を寄せると、努めて穏やかな声で続けた。
「わたくしどもは製陶で糊口を凌いでおりまして。花街で陶器を背負い行脚しておりますれば、酔客が女に良い所を見せようと皿をひとつ、ふたつと買うて下さいます」
「・・・」
成る程、花街で若い娘が出歩いていた理由としては在り得ることなのかも知れぬ。だが、完全には納得がいかない様子の清家は苦々しく口を開いた。
「当家の旦那様が初めてこの娘と会った訳ではあるまい。・・・それ以前より白哉様と知己になっておったと聞いているが」
「仰る通りにございます・・・白哉様は任務で犬吊にいらしたことをきっかけに、うちで引き取っている子ども達にご蔵書を貸して下さるようになりまして。ほんに、有り難い事でございます」
緋真が花街にいた理由は違うものだが、白哉との出会いは事実である。本の件について感謝していることも。
あくまでも上品に申し述べるすゑを前に、清家は些か混乱していた。この者たちが立場通りの下賎の者であったならば一方的に誹ればそれで良かった。だが、文句のつけようもない程に礼を尽くされては無下に扱う訳にもいかぬ。
「・・・事情は理解した。だが、朽木家は四大貴族の一。その旦那様に心易く近付く事は本来あってはならぬ事であるぞ」
「それはもう、重々承知致しております」とすゑは再び頭を下げる。
「この娘にもよく言い聞かせておきましょう。そも、我らが情けをかけて頂くなど恐れ多きことです」
粛々とそう述べるすゑに清家は頷く。これでこの者たちが引いてくれれば、それで何も無かったことにできるのだ。清家がそう考えていると、すゑは顔を上げ、やや意味を持たせて語る。
「それにしても、朽木様のご当主殿はまことの徳というものを心得ておられますねえ。貴族とはいえ酷薄な御仁が多い昨今、立派なお心をお持ちです。徳を喪った貴族など、ただ虚栄に操られた骸にございますゆえ。願わくば、白哉様がその高潔さと徳を保たれますことを」
「な・・・」
なにを無礼なことを。それでは流魂街の住人との付き合いを切ることを非道と? そう言おうとして清家は止まる。穏やかに話をしていたすゑだが、瞳が明らかに先程とは違う。細められた双眸の奥に、強く揺るがぬ光が宿っている。それは白哉が怒った時に灯すそれと同じものと気付いて、迂闊にも清家は一瞬気取られた。

「さて、」
ふと、すゑは伏した緋真の身体を起こすと、その身体を軽々と背負い上げてしまった。
「それでは、手前共はそろそろ失礼致します」
人ひとり背負って何事もないようにすゑが会釈すると、清家は驚き「流石に人を呼ばせよう」とすゑを止めた。
「ご心配には及びませぬ。この老いた身とはいえ、子娘一人の痩せた身体を担げずに、どうして犬吊で生き延びられましょう」
それに、これ以上の長居や移動を清家の息の掛かった者に任せば、万一とはいえ緋真の安全の保障は無い。
すゑは言葉通りに老齢と思えぬ力強さで緋真を背負っている。痩せた少女とはいえ、人ひとりの体重を受けても揺らぐ様子はない。
「それでは、わたくしどもはこれにて。ご当主殿にどうぞ宜しくお伝えください」
そう礼をすると、矍鑠とした動きで離れを辞す。滑る雪道にもかかわらず、しっかりとした足どりで去っていった。

その姿を見送りながら、清家はしばし呆然とする。
「・・・あの女、一体・・・」
所作や言葉の上品さに流魂街人の雰囲気は欠片もなかった。その小さくなっていく背中からも霊圧の類は感じられないが、ただの老人とは異なる何がしかの威圧を感じ、清家の両拳は知らず握り込まれていたのである。



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