『 明烏 後編 』
  − brother sun, sister moon 5(for all of you) −




「それで、お話というのは」
家中を占めた似合わぬ緊張と沈黙を、白哉の声が破る。傍らで座した緋真の身体が僅かに震えた。
すゑは切り出す言葉を考えあぐねていた様子だったが、その声を契機に静かに話を始める。重大な内容であることはその表情から察せられた。
「緋真。あんた、近いうちにこの家を出て貰えないか」
「・・・え? いま・・・なんて?」
思いがけない内容がすんなりと脳裏に入る筈もなく、反射的に緋真は戸惑いを伴って聞き返す。しかし老女の断固とした口調は変わらなかった。
「あたしの知り合い・・・いや。もう隠す意味はない。あたしの身内が四大貴族の分家に嫁に行っていてね。子どもはいない。ここを出て、その家に、養女として入らないか」
体裁は誘いとして、しかしその視線はなかば強要に近く、すゑは凛と緋真を見据えた。
「どういう・・・こと?」
「どういうことも何も。今言った通りのことだよ。あんたは貴族の養女となって、そして行儀作法その他諸々、あらゆることを身につけてみないか。いや、・・・身につけて貰わねばならない」
「何故、そのようなことを」
驚きで言葉を継げない緋真に代わり、白哉が問うた。緋真ほどでないとはいえ、この唐突な申し出には彼も当惑を禁じ得ずにいた。
「あんたのためだよ、白哉さん」
ふっと笑って、すゑは続ける。さも当たり前のことを当たり前のように。
「あんたと、そして緋真のためだ」
「え・・・」
「・・・」
思わず若い二人が顔を見合わせたのを眺め、「あんまり婆あの目を舐めないで貰おうか」とすゑは多少意地悪く笑った。
年の功からくる千里眼、という程のことでもないが、二人の間柄をこれまでずっと見ていれば、選び取るであろう運命の道筋も、自分が用意してやるべき諸々も、すべて必然として予測できようものだ。
ほぼ全てを察している様子のすゑを前に、罰のわるさと照れがない交ぜになった心境で白哉と緋真はただ押し黙った。
「あんたたちが想い合う上でね。身分違いのまんまでも構わないっちゃ構わないと思ってるのかもしれない。でもね、・・・流魂街の者と貴族、それも四大貴族の当主ってのは・・・流石に色々と、風当たりが強かろうさ」
「・・・・・・」
無意識に緋真の手が握りこまれて震える。その不安を拭うかのように、白哉は重く頷いて宣言する。
「・・・覚悟の、上のことです。少なくとも私は」
「わかってる。あんたらが並大抵の覚悟でないことはよくわかってる。だから不肖このあたしも覚悟を決めたのさ」
真意を量りかねている緋真に向かってすゑは座りなおす。その優しげな微笑にどこか、寂しげないろが差すのを白哉は察した。
「緋真。これまであんたや子ども達にも言ったことはなかったが、あたしはもともとは・・・貴族だったんだ」
一拍の沈黙の後、「・・・うん」と緋真は小さく頷いた。初めて語られた過去の筈だが、すゑの予想に反して緋真に目に見えた動揺はなかった。
「気づいてたかい?」
「少しだけ・・・ね。おばあちゃんの持ち物のなかに、ときどき高価そうな物が混じっていることがあったもの。大事に仕舞ってある簪とか、今おばあちゃんが着てる紬とか・・・それで、もしかしたら、って思ってたの」
「そうかい・・・。すまなかったね。余計な気を廻させた」
緋真がふるふると首を振る。憶測していたとしても今までそれを直接彼女が訊いてきたことはない。恐らくは、自分が口に出さないことは尋ねるべきではないと慮ってのことだろうとすゑは察した。・・・優しい子だ。優しすぎるほどに優しい子だと重ねて思う。
「あんたも知ってたみたいだね。・・・調べたかのかい」
すゑは身辺を密かに洗われていた可能性について特に不快な様子もなく、白哉に訊いた。
「いえ、そのようなことは。ただ、以前聞いたことがあるのです。京楽家の先々代当主のご息女が初の女性隊長を嘱望されていたにも拘わらず、・・・なんらかの理由で家を離れたと」
「気を遣わなくていい」
幾ばくか自嘲気味にすゑは鼻で笑う。
「多分あんたが耳にした噂の通りだよ。貴族の家に産まれた女が流魂街出身の平隊員とくっついちまって勘当されたっていう、まあつまりは単純な話さ」
からりとすゑは笑ってみせたが、そのような事態は本来ならばとても単純とはいえない。ましてや今よりも流魂街出身者の地位が低かった当時、上級貴族の娘がそのような者と駆け落ちなど、貴族社会における醜聞の最たるものだ。家長にいっそ諸共斬り殺されなかったのが不思議なほどである。
その当時は勿論、今現在に至るまでには相当の労苦があった筈だが、すゑは一瞬目を細めたのみで、あくまで朗らかに続けた。
「で、まあ。今回ちょっとこの白髪頭を京楽の家に下げてね。あたしの籍をもとに戻して、さっき言った通りに緋真、あんたを姪の家に預けることにしたってわけさ。流魂街の女のままというのは、流石に難儀なことも多かろうと思ってさ」
「もしかしてその顔のあざ、その時に・・・?」
「まあ、ね。この歳になってよぼよぼの親父殿に殴られるとは思わなんだけど・・・ああ、そんな顔すんじゃないよ。大したモンじゃないんだから」
そうは言われても心配そうに緋真は赤黒く残る頬の痣を見つめた。緋真にとっては高すぎる対価だった。もっとも、すゑにとっては格安ともいえる。己が長年しがみ付いていた信念を折るのに加えて、鉄拳がひとつ。若い子らが道を拓く旅賃の足しになるのなら、悪くなどない。
「すゑ殿、何故そこまで・・・」
「言ったろ。あんたと緋真のためさ。この件に関しては親代わりとしての勝手なわがままだと思って貰って構わない。それに・・・あんたの側からは動き辛かろう?」
「仰る・・・通りです」
白哉は苦々しく頷く。実力を認められているとは言え、未だ若き当主として周囲に認識されている自分のこと。自分の願望そのままに頭首としての権限を振りかざせば、余計な苦難を徒に増やすだけであろう。緋真とのことに関し、白哉自身はいかなる困難も覚悟しているが、緋真本人に無用な災禍を招く訳にはいかない。
一度は棄てた貴族の世界に膝を屈したすゑの『覚悟』の重さと、それと引き換えに得られた緋真の道は、彼にとっては正直言葉に代えられぬ程に有難いものだった。
「すゑ殿のご厚情とご配慮、心より御礼申しあげます」
白哉は憚ることなく畳に手をつき深深と頭を下げた。緋真も隣で同じように伏して感謝する。
「やめておくれよそんな真似。それに、今回こそあんたらの為にこういうことになったけどさ」
少しだけ言い淀んで、すゑは視線を泳がせる。
「もしも緋真の妹が花街で見つかっていたなら、どちらにせよ・・・京楽の家に頭を下げるつもりでいたんだよ。・・・相応の金子が必要になってただろうからね」
「・・・!」
緋真ははっと驚きに目を見開くと、更に深く頭を下げる。
「・・・ごめんなさい、おばあちゃん」
「謝る必要は無いさ。結局は実現しなかった話だ。・・・まあ、こんだけ探しても妹が売っぱらわれたっていう証拠が見つからなかったんだ。良いことだと考えるべきさね」
「でも・・・」
妹が花街で見つかったなら自分が身代わりに、などと覚悟はしてきた積もりだったが、それ以上に重い覚悟をすゑは心に固めていたのだ。自分の決意がひどく倣岸なものに思えて、緋真は頭を上げられずにいた。
「それでもまだあんたが申し訳ないと思うんだったら、この話を受けてやってくれないかい」
「・・・」
すゑが優しげに声を掛けても、緋真は下を向いたまま膝で固く両手を握り締めている。無理に促さずに回答を待つすゑと白哉との間をしばらく沈黙が占めた後、ぽつりぽつりと緋真が切り出した。
「でも、だったら、おばあちゃんがわたしに色々と教えてくれればいいじゃない? なにもこの家を離れなくても、おばあちゃんと離れなくても・・・いいじゃない・・・」
最後のあたりで言葉は掠れて消えた。これまで頑健に自身に厳しかった緋真が、ほとんど初めて見せたすゑへの甘えだった。
すゑはひどく優しげに微笑み、それから「それはできない相談だよ」と残念そうに首を横に振る。
「あたしの出自はともかく、こっちの側にいることは将来あんたの為にはならない。・・・清霊廷の年寄り連中の中には、未だにあたしのことを凶状持ちと思ってる奴らもいるのさね」
白哉はすゑの眼元がふっと寂しげに伏せられるのを見逃さなかった。残念ながら、白哉が先に噂で聞いていたすゑの貴族社会における評判は、決して芳しいものではない。今でこそ実力に秀でた女性死神など珍しくもないが、すゑの若きころは恐らく女性が隊長候補になるなど異例中の異例、誉れのなかの誉れであり、それを駆け落ちという形で泥を塗った彼女を負の意味で記憶している年配者は未だに多い。
暗い影を気取られないように、すゑは顔を上げて続けた。
「姪の嫁ぎ先ってのは四大貴族の分家ではあるが、名前だけなら朽木の家に相応しくないわけでもない。・・・ここから話は多少生臭くなるが、養女と朽木家の当主が縁を結ぶとありゃ、子がいなくて肩身の狭い思いをしてきた姪夫婦にとっては充分に有難い話さ」
複雑な思いで白哉は頷く。これまで自分の人生の殆どを縛ってきた朽木家という存在は、白哉自身が思っている以上に周囲からは重要な存在だと思われ続けている。今はどうにかそれが有利になりそうではあるが。
「・・・まあ尤も、姪ごはあたし以上の世話焼きでね。白哉さんとこの縁云々の利自体よりも、今回の話をしたらあんた達のために貸すなと言っても全面的に力を貸してくれるだろう。だから安心して緋真を任せられるわけなんだが」
白哉は頭に入っている上級貴族の面々から、すゑが話していると思しき家を思い出した。確か、京楽家の息女、八番隊隊長・京楽春水の妹御が四大貴族の傍系に嫁入りしていた。些か風変わりな女性で、出世に興味を持たず趣味の書に没頭するこれまた一風変わった夫ともども静かに、一族にとっては毒にも薬にもならぬ夫妻として認識されている筈だ。
以前いずこかの貴族同士の集まりで顔を見かけたことがある。言われてみればどこかすゑに似た飄々とした面影の、ふっくらと丸い中年の女性だった。話したことはないが、すゑの言葉と自分の記憶を信じるならば、緋真を預けるに申し分のない人物なのだろう。・・・すゑの自信と信頼を考えてみても、現状では最良の申し入れだと白哉は納得した。
しかし、隣の緋真はといえば、未だに堅い表情で俯いている。
「でも、」
「でも? なんだい」
先を促したすゑの声に、なお強張った呟きが帰る。
「それでもやっぱり、そんな勿体ないお話、わたしには・・・。白哉さまがいらっしゃるというだけで身にあまることなのに、おばあちゃんの長い間の信念を曲げてもらってまで・・・」
「緋真?」
「先方のお宅にしても、わたしのような娘が養女だなんて・・・。そもそも、・・・妹を手放したような人間がのうのうと貴族のお宅になんて」
「緋真」
「・・・はい」
強い声に抗えず、緋真は言葉を切って居住まいを正した。そのまますゑは一呼吸深く息を吸うと、
「この、馬鹿たれっ!」
あらん限りの声で、些かの遠慮もなく、緋真を怒鳴りつけた。
「・・・すゑ殿」
「おばあ・・・ちゃん」
その剣幕に動揺を隠せない二人を尻目に、すゑは立ち上がって緋真を見下ろす。
「緋真。あんたは本当に馬鹿だ。・・・そろそろね、その青い芋みたいに堅い頭をどうにかしなきゃならない刻限なんだよ」
小柄なはずの老女の身体が、今は二倍にも三倍にも力強く感じられた。そのすゑが改めて緋真の正面に座ると、強い瞳で緋真を射抜く。
「あんた一人でぐだぐだぐだぐだ悩んで迷って明るい道から背ぇ向けてたって、余波ってのはどうしても他の人間にも及ぶもんなんだよ。山ん中でたった一人で暮らしてるわけじゃないんだ、罪を抱えこんでいるならいるで、その上で今自分が出来ることやすべきことにも目を向けなきゃ駄目さね」
口調は厳しい。しかし、すゑの手は優しく緋真の強張った両手をとり、握り締めた。
「あたしはあんたの家族だ。だから、何をさしおいても、何を放り出しても、あんたの幸せを願う義務と権利があるんだよ。・・・だから、どうか幸せになんな。この年寄りを大事に思ってくれるなら、後生だから、」
片手で緋真の手を取ったまま、空いた手で傍らで見守る白哉の肩をぽんぽんと叩く。
「後生だから、・・・この人に、幸せに、してもらいなさい」
そうだね? とすゑは白哉に水を向けた。唐突な意思確認にもかかわらず、白哉は緋真をじっと見つめ、そして頷いた。微塵の迷いも後悔もない、揺るぎのない肯定だった。
緋真は半ば泣きそうになりながら、申し訳なさと有り難さにどう対処していいか分からず、白哉を見た。
自分の醜い本性と消せぬ過ちを知り、それでも、自分と共に在りたいと願ってくれた青年は静かに、優しく頷く。
そして、緋真はすゑの手を握り返した。
「・・・・・・い・・・」
消え入りそうな声で、しかし確かに彼女は、

「・・・はい・・・・・・っ!」

・・・容れるべき選択を容れた。
すべては、自分と大事な者達を待つ未来の為に。


 ●


話が大方済んだ頃には既に空は茜色に染まりかけていた。
そろそろ暇をせねばと腰をあげた白哉を、緋真とすゑが玄関先まで見送る。通りで一礼して去ろうとする白哉にさらに深く頭を下げている緋真の腰を、すゑは遠慮なくぱんと叩いた。
「お、おばあちゃん?」
「なにやってんだい。途中まで送ってお行きよ。まだ陽があるから二町むこうぐらいまでなら一人で帰ってきても安全だろうし」
「え」
緋真は唐突な提案に驚き、ただ首をかしげる。
「だって、あの、白哉さまぐらいお強いのならわたしなんかがお送りしても」
莫迦だねえ、とすゑは腕を組んで苦笑う。
「惚れた相手と一分一秒でも長く一緒にいたいと思わないのかい、あんたは」
「!?」
緋真の頬は夕日が直に差しているわけでもないのに真っ赤である。言葉を無くしてうろたえる様子に、助け舟を出すかのように白哉がその背をとんと押した。
「・・・行くぞ」
「は、はいっ!」
一歩先を行く白哉の背を慌てて緋真が追いかける。普段ならば緋真に歩調を合わせてゆっくりと歩む筈だが、つい本来の早足になっているあたりに青年の小さな動揺が見て取れ、すゑは内心笑いをこらえるのに必死だった。
辻を曲がるあたりで二人は振り返り、揃ってこちらに頭を下げる。
すゑはこの上なく清清しい心もちで手を振って見送る。夕刻で気温が下がるのに伴い、風が一陣吹き抜けた。あの若人二人のために信念を棄て、その上老いた実父に殴られた頬にもう痛みは微塵もなく、涼風のなかでその痕は温かくさえ感じた。
「上々、上々」
呟いて家に戻ろうとすると、白哉と緋真が曲がった反対側の辻から孝太と幸枝が勢いよく駆けてくる。二人ともよく遊んできたのか、着物のあちこちに泥がついていた。
「おばーちゃん!」
「たっだいまっ!」
その勢いのまま二人してすゑの腰に飛びついてきた。その小さな全身から草原と花の匂いがする。
「あーあーこんなに泥だらけにしてあんたらときたら・・・。今までずっと遊んでたのかい」
「ん。白哉さん来てたし」
「大事そーな話だったし、さ」
子どものくせに一丁前に気を廻して、とすゑは内心すこし呆れたが、二人の気遣いは間違いなく有り難い。
両手でそれぞれの小さな頭を撫でまわすと、ふと腰を落とし、真面目な表情で二人を少し近くに引き寄せた。
「孝太。幸枝。・・・ちょっと理由があってね。緋真はこんど、ばあちゃんの知り合いの家に行くことになったんだ」
二人はきょとんと目を丸くし、おずおずと尋ねる。
「それってもしかして・・・」
「・・・白哉さんち?」
「・・・いや、白哉さんの家じゃないよ。なんて言ったらいいかねえ、いずれ白哉さんちに行くために、そうするんだよ」
端的に過ぎる説明のような気はしたが、他にこの子たちに言いようもない。
「・・・なんかよくわかんないんだけど、いいことなんだよね? それ」
「わかった! 花嫁シュギョーってやつだ!」
さすがに少女ゆえの鋭さか、幸枝が手を打つと、孝太もぱあっ顔を綻ばせる。
「まあ、ちょっと違うが似たようなもんかねえ。とにかく、緋真はこの家から出て行くことになる」
「え・・・」
「うそ・・・」
姉と慕った緋真が家を出る。現実を突きつけられて、幼子二人の表情は曇った。無理もないか、とすゑは思う。この子らにとっても緋真の幸せは喜ばしいものだろうが、離れ離れになる寂しさはまた別の問題だ。俯いてしまった二人の肩にすゑは手を置き問い掛ける。
「・・・がまん、できるかい?」
沈黙ののち、二人は顔を見合わせてぎこちなく頷く。
「緋真ちゃん、白哉さんのおよめさんになるために、おれたちのとこからいなくなるんだよね?」
「まだ本当にそうなるかは分からないけどね。そうなるように頑張るために、あの子は行くんだよ」
それ以上のことはすゑにも言えなかった。実際のところ、自分にできたのは緋真が白哉の立場になんとか近付けるように手助けをすることだけ。貴族社会のしがらみや難しさを知る立場なればこそ、子ども達を安心させるためだけに安直な理想を語るわけにはいかない。
孝太と幸枝はしばらく考えていたようだが、やがて首を縦に振った。
「・・・ん。なら、しゃーない、のかな・・・」
「さみしいけど、おれ、がまんする。さみしいけど」
「・・・いい子だ」
結論を出しても寂しげな二人をぎゅうと抱きしめ、頭を撫でてやる。小柄な身体はこわばってまだ現実を受け入れがたい様子だったが、すゑが宥めるようにぽんぽんと背を叩くと、やがて二人ともその身を預けた。いい子だ。自分が懸命に育てた甲斐以上にこの子たちは本当に・・・いい子に育ってくれた。すゑは子どもたちを離して四つの目を見つめ、心の隅で考え続けてきたことを口にする。
「あんた達も瀞霊廷の裕福な家に行くかい?」
「え?」
「今なら、ばあちゃんの知り合いに頼んで、あんた達も瀞霊廷の真っ当なところに養子に出してやれるかもしれない」
京楽の籍と姓を戻して緋真を姪の家に養女に出すと決めてから、ずっと考えに上っていたことだった。
そもそも三人の子らを引き取って等しく愛情を注いできたつもりのすゑである。緋真がこういった事情で貴族の家に行く以上、残ったこの子たちが自分と共に相変わらず貧しい生活に甘んじていなければならない理由はない。
そもそもすゑにとっては、自分の信念に子どもたちを付き合わせて平民の暮らしをさせてきたのだという負い目にも似た感情がある。その信念を覆したいま、自分の生活はこのまま変えるつもりはないが、孝太と幸枝は親戚なり古い知己なりに養子に出して、少しでも良い暮らしをさせてやりたい。
それがたとえ、自分の傍から子らが皆巣立っていくことを意味していても。
「こんなボロ屋じゃなくて、綺麗な家でうまいもの食べてさ。甘い菓子も沢山くれるだろうさ。そんな新しい家族を・・・」
切々と、すゑは孝太と幸枝に説明する。じっとこちらを見て話を聞いていた二人はしかし、同時に首を横に振った。
「んーん」
「別にいんない。そんなの」
「な・・・」
意外な返答にどうして、と問う前に、二人はにかりと笑った。
「だってさあ。おばあちゃんがいつも言ってることじゃない。人は人、自分は自分って。だから、緋真ちゃんは緋真ちゃん、あたし達はあたし達。でしょ?」
「おれ達はおばあちゃんのところにいるよ。だっておれ、やっと粘土の練り方覚えたばっかだもん」
「あたしも、花模様の絵付け、できるようになったばっかりだよ。もっともっと覚えてさ、いい職人さんになるまで、」
「おれ達はまだまだ、おばあちゃんに沢山教えてもらわなきゃさあ」
傾いた陽光は既に茜色を纏い、子ども達の笑顔を一層明るく彩っている。呆然と戸惑うすゑの前で二人は迷いなく自分達の道を選び取った。
気づけば、すゑは力を込めて孝太と幸恵を抱きしめていた。苦しいよという小さな抗議に少し腕を緩めたものの、離さぬままに呟きが洩れる。
「・・・ありがとう」
顔を埋めた二人の首元あたりから、ふわりと粘土の匂いが立ちのぼる。
今の生活に馴染み、慣れ親しんだ筈の土の香り。それがいますゑの心の何処かを討ち、小さな肩口に埋められた白髪頭は暫くの間、微かに震えるほかは動くことがなかった。



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