『 複雑結晶 』
  − ambivalence −



その日、五番隊隊舎は朝から賑々しかった。久方ぶりの大掃除日なのだ。
普段は虚相手に勇猛に戦う屈強な男達も、今日ばかりは斬魄刀を掃除用具に持ち替え、慣れぬ清掃作業に朝から必死だ。
若年で見た目はまだ少女といってもいい五番隊副隊長・雛森桃は、駒鳥のように走り回っては各隊員に指示を出し、自分も率先して清掃に励んでいる。
もともとしっかり者で名が通っており、将来はいいお嫁さんになるとまで周囲に噂される彼女のこと。面目躍如とばかりに生き生きとした様子に、部下たる面々も副隊長に劣る訳にもいかずに体を動す。お陰で作業は効率良い事この上ない。昼が過ぎる頃には隊舎の八割方はぴかぴかに磨き上げられ、そろそろひと段落ついた、と、雛森はたすきがけのまま隊長室の様子を見に行った。
隊長室の掃除だけはその主たる隊長ひとりの管轄である。
何せ護廷十三隊の一つを統べる責任者の半私室である。席官はおろか副隊長でさえ容易に触れてはいけない機密書類や隊長個人の私物やらが山とあるのだ。
よって隊長・藍染惣右介は朝から隊長室に篭って自室の掃除をしている。人当たりの良い風貌をしているとはいえ、大柄な上司がこまごまと掃除に勤しんでいる様子を想像して、雛森は不謹慎さを自覚しつつも頬を緩めて隊長室の前まで来た。
「雛森です、入ってもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
いつもと同じに襖の向こうから帰ってきた答えに、失礼します、と雛森が入室すると、落ち着いた風情の見慣れた隊長室の床が・・・大量の木箱で埋め尽くされていた。
その箱の中央には、白い隊長羽織を脱ぎ、死覇装にたすきがけの姿でこの部屋の主・藍染が座っている。
「おや。見つかってしまったね」
そうして、副官を見てばつが悪そうに苦笑いした。
「ど・・・どうしたんですか? これ。ええと・・・全部・・・石、ですか?」
木箱の中は小さく仕切られ、一個ずつ色も形も様々な石が鎮座している。中には石というより単なる泥の塊のように見えるものや、油紙で包まれているものもあるが・・・どうやらこれらは全て鉱物の標本であるらしい。雛森にもそこまでは理解できた。統学院の授業で同じように箱に収められたものを見た覚えがある。(もっとも、藍染のものは学院のものに比べかなり大量なのだが。)
「いやあ、実は僕、石を集めるのが好きでね」
「それは・・・存じてましたが・・・」
確かに藍染は以前にも、鉱物を好んで蒐集していると雛森に言ったことがあった。義骸で現世に降りて珍しい鉱物を手に入れたという時などは、いつもに増してにこにことしていた。石集めとは全く子供のような趣味のように思えるが、立派な大人である藍染が蒐集するものだからその規模も半端ではない。おそらくは量・質とも子供の趣味の領域などとうに超えている。その蒐集物を今日初めて雛森は目にしたのだが、まさか・・・これ程とは。
「一体どこにこれだけ仕舞っていらしたんです?」
「実は納戸に。片付けをしなければな・・・と出して整頓しているうちに、ついつい見入ってしまってね。ぼうっと石を見ていると、時間が過ぎるのを忘れていけない」
苦笑いして藍染は、手にしていた灰色の丸い石をかざして雛森に見せた。彼女にしてみれば、その辺に落ちている石と大して違わないようにも見える。
理解できない様子で小石を凝視する雛森に、藍染は傍らの箱からもう一つ、石を取り出して彼女に見せた。
「ほらこれ。同じ種類の石なんだけど、割るとこんな風になるんだよ」
同じものとされた石は大きく欠けていたのだが、その部分は表面の鈍い灰色とは対照的に、漆黒のガラスのような輝きを放っている。
「えっ、割れると中はこんな風になってるんですか? 外側と全然違いますね」
「うん、面白いだろう。ああ、触るときは気をつけて。指を切るといけない。それは鋭いんだ」
雛森はすっかり感心して二つの石を見比べた。そんな様子に藍染もつい解説を始めてしまう。
「その石はね、黒曜石。これが蛋白石、これが孔雀石、その金色のが黄銅鉱・・・」
ひとつひとつ、淀みなく名を諳んじていく。箱には何の標記もなく、ましてや石自体に名が書いてある訳でもないのに。
「全部名前を覚えていらっしゃるんですか?」
「うん」
自分達の周囲を埋めた石の量をざっと見回し、雛森は感心というよりは今度こそ呆れた。
「本当にお好きなんですねぇ・・・」
「まあね・・・。いつからかは忘れてしまったけれど、ずっと昔から僕は石が好きでね」
本来仕事の為の部屋である隊長室にこんなに趣味の私物を仕舞いこみ、なおかつ掃除もせずに心奪われていたのが露見したのを照れたかのように、藍染はひとつ石を取り出し、それを弄んで言い訳がましく語り始めた。
「硬く、冷たいのに、こんな風に結晶した姿は、とても美しく思えるんだ。僕らがそう認識していないだけで本当は、石っていうのは生き物なのかもしれないと・・・時々思うよ」その眼は目の前の石を見ている筈なのに、焦点は、どこか遠くへと向けられている。
「生き物・・・?」
「そう。生き物。血が通っていない、有機物ですらない。でも彼らは・・・人間よりも、死神よりも、余程長い命を持った生物のように・・・完璧に近い長い長い時間を生き続けている。そういうようにも思えるんだよ。・・・僕が石を集めるのはね、雛森君」
そうして、手にしていた石を元の箱の空白に丁寧に戻した。それが彼のいつもの儀式であるかのように、静かに瞼を伏せながら。
「僕は・・・彼らの揺るがない永劫さと完璧さが、羨ましいからなのかも知れない」
「そういう・・・ものなんですか・・・?」
雛森には分からなかった。
なぜ自分の上司が、冷たく硬い無機物をこんなにも想い込めた眼で見つめるのか。
眼鏡の奥の温和な瞳の更に向こうに、硬い殻の内側に仕舞いこまれた彼独自の条理をちらりと見てしまったようで、雛森の心のどこかが鐘を鳴らした。
それが警鐘であるのか、それとも新たな感情の萌芽を告げる鐘であるのか、まだ彼女には分からない。ただ、ちくりと微細な棘を心に残した。
言い知れず濁りはじめた自分の心を誤魔化す為に、雛森は何気なさを装って、手近で目に付いた青い石をひとつ手にとった。細長く、手のひらぐらいの長さで、よく見れば長細い二等辺三角形の形をしている。
透明ではないが、春の花曇りが明けた空の色に似ている。美しい石だった。
「それはね、らんしょう石、っていうんだ」
「らんしょう・・・せき・・・?」
しげしげと手の中の鉱石を見つめている雛森に、藍染は双眸を細めて微笑むと、「気に入った? じゃ、あげるよ」と告げた。
「えっ・・・えええ!? い、いいえ、そんな! 頂けません、こんな貴重なもの!!」
「いいや、特に貴重な石じゃないし、高価とかそういうのでもないから、気軽に持っていって構わない」
「でも、大事にしていらっしゃるんでしょう!?」
思わぬ提案に狼狽し、雛森は石を藍染に押し付けて返した。藍染はその石を見て、ふと一息考える。
「そうだね、・・・大事にはしている」
「でしたら、なおのこと・・・」
「だから、だよ。大事なものだから、君にあげる」ゆっくりと、恐縮した華奢な手を取って、再びその青い結晶が渡された。
「でも・・・」
「雛森君」
尚、固辞しようとする雛森の手にしっかりと石を握らせて、藍染は迷う彼女の眼をひたと見据える。
「君に持っていて欲しい。・・・これは、僕のお願いだ」
「・・・は、い・・・」
意固地な願いか。頑固な懇願か。・・・それとも別の、真摯な祈りか。藍染の頼みの真意は雛森には推し量れなかったが、ようやくぎゅ、と渡された石を握り締めた。
それを見て藍染も、石を握らせた手を放し、安心したように笑んだ。
「いらなくなったら、いつでも・・・棄ててもらって構わないから」
「いえ!」
思わず強く否定した自分に、雛森は顔を赤らめた。「・・・いえ・・・。いらなくなるなんて事、絶対に、ないです」
「そう?」
「はい。ずっと、大事にします」
そしてまるで、繊細で美しい硝子細工を手にしたように、委ねられた宝物を大事そうに両手で包んだ。
「ありがとうございます、藍染隊長・・・。あたし・・・ずっと、・・・大切に持っていますね・・・」
「うん」
ぽん、といつものように大きな手を雛森の頭に乗せ、「・・・ありがとう」と満足げに藍染が目を細めたその時。
「副隊長、どこですか、雛森副隊長ー?」
遠くから雛森を呼ぶ声が響き、二人ははっと掃除のことを思い出した。
「あっ・・・あたし、行きますね」と少し頬を高潮させて、石を丁寧に懐に仕舞った。
「木乃伊取りを木乃伊にしてしまった様だ。時間を取らせて済まなかったね」
「いえ、藍染隊長も、ちゃんと夕方までには片付けて下さいね?」
「はいはい」
広げられた大量の石を見回して二人で苦笑いした後、雛森は失礼しました、と告げて退室した。
木箱を整頓し始めた藍染は、静かに閉められる襖を見ながら、去り行く少女が残した言葉を反芻する。

『 ずっと大切に持っていますね 』

ともすれば溺れてしまいたくなる程に無垢で無邪気で、だからこそ美しすぎた誓い。
あの小さな約束は、いつの日か違われることだろう。
違わせるのは、他でもない、自分だ。

藍染は己の分身たる石が彼女によって打ち棄てられ、地に還る時のことを静かに想像した。

想いを馳せる短い間にも、彼女の足音は軽くぱたぱたと遠ざかっていった。





  【 藍晶石 】( Kyanite : Al2SiO5 )
  アルミニウムの珪酸塩鉱物。三斜晶系に属する。
  外観は藍色・白色もしくは白色中に青い線条。
  透明度の高いものは研磨され宝石として用いられるが、
  その美しい柱状の形から、原石のまま愛でられることも多い。
  結晶面の方向によって硬度が変わるため、ニ硬石の別名がある。

  一面からの力に強く、一面からの力に弱い。



   Fin.


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