『 不可逆の水際 』
  − out of the order −



反逆の兇徒・藍染惣右介のもとに尸魂界からの通信を傍受したと報が入った時、彼は空を見ていた。
虚圏の空は天気らしきものが存在せず、ただ雲らしきものが渦を巻いているだけ。
虚どもと三人の元死神が集う、味けない建物。藍染は今そこにいる。
飾り気などとは無縁な部屋。その小さな窓から、色のない空を見ていた。

聞いているのだろうか、と報告した東仙は思った。盲目である東仙には、目の前にいる主君が何をしているのか仔細に判別できない。また、藍染からは知らせを耳に入れても何の揺らぎも感じられない。もしや眠っているのか、とさえ思われた。
「藍染様・・・?」
「わかった。すぐに見に行く。下がってくれ、要」
おそるおそると掛けられた声に、しかし藍染は鋭く答える。動じず、ただ空を見上げたまま、声だけは鋭利に。


 ●


藍染が歩く音は、いやに尾を引き廊下に響いた。
建物内は無人ではない。多くの彼の手下が息を潜めてどこかで蠢いている筈だ。だが空気を支配しているのは不気味な静寂。
最奥の、ひときわ大きい扉を開けると、照明もおぼつかない広間に一人の男が待っていた。
白い上着に銀の髪。市丸の姿がぼんやりと薄闇に浮かんでいる。こちらの姿を認め、にっと笑う気配があった。
「・・・あァ、ようやくいらっしゃいました」
「尸魂界の映像が撮れたって?」
「ええ、シャウロンが残していた技術が役に立ったみたいです」

先ごろ、グリムジョーなる破面の一員が数名を引き連れて現世に下りる事件があった。先じて二名の破面が浦原・四楓院の両名、及び黒崎一護という死神の能力を有した人間と刃を交えた件に触発されたらしい。藍染の命令なしの、完全な独断行為だった。
彼らは現世に派遣されていた死神と戦闘に至り、結果、十刃として飛びぬけた力量を持つグリムジョー以外の五名が消滅。張本人のグリムジョーは東仙に(多少藍染の遊びが手伝ったにしろ)罰則として左腕を切断された。

敗北を喫した破面達は藍染にとってあくまで作り物のひとつである。ただ、その中の一名、シャウロン・クーファンは多少異能の技術を有し、好んで機器を弄んでは玉石混合の発明品を残していた。その一つ、通信の傍受をする機械が予想外に有用であったらしい。藍染が少し手を加え、今回死神側の山本総隊長と現世に駐屯する日番谷冬獅郎を結ぶ映像を投影するのに成功した。

藍染にとっては悪くない誤算である。何せ彼は虚らの能力をそもそも信用していない。ただ飢え魂を食らおうとする浅ましい存在と考えていたものが、崩玉の成果か成長に伴い新たな技能を身に付けていたとは。・・・全く以って、悪くない。
「・・・試作品は試作品なりに、役に立ったようだな」
「このカラクリがですか?」
「いや、今は亡きシャウロンが、だよ」
「今まで屑だと言わはってたのに」
「訂正してあげなければならないな。『思ったより役に立つ屑だった』と。尤も、もう遅いが」
滅された『 作品 』に対して一切の愛惜を見せず、藍染はただ笑った。
市丸はそれをみて何も言わず微笑むと、手元の端末を操作して傍受した通信を投射させた。
画像は現世側が受信した映像しか出てこない。故に日番谷の姿は見えず、山本が語る姿と声だけが投じられる。

 『 王鍵 』
 『 空座町 』
 『 決戦は冬 』
 『 方法なぞ無くとも我ら護廷十三隊は、必ずや、奴を――― 』

山本が語る内容は、実際、藍染方の事実を射ていた。一通り山本の語りが終えられた辺りで、市丸は画像を一旦止めた。そして楽しげに藍染の反応をうかがう。
「・・・ふ」
藍染からまず最初に漏れたのは、蔑んだ笑いだった。
「彼らにしてはよく調べたものだ」
「ばれてまいましたねえ」
「構わないよ。王鍵のことなら彼らが知ったとて事情はどうとも動かない。もともと書庫で閲覧履歴が記録されるのも想定のうちだ。知られて困るなら施設を全て破壊して去ったさ」
「なるほど」
「それに・・・死神の諸君がこちらの最終目的など推察できよう筈もない。せいぜい崩玉が成熟期に入るまで準備を整えておくがいいさ。そうでなければこちらも潰し甲斐がないだろう?」
「ごもっとも。・・・藍染はん、楽しそうや」
「もちろん、楽しいさ」
言葉どおり、愉悦が藍染の心を満たす。恋のようなものだ、と、ふいに口を開いて出た。
「恋ゆうと?」
「この計画を実行に移すために何十年何百年と焦がれ、忍び続け、それが今成就しようというんだ。心躍らずにはいられないね」
その表情にはごく純粋に、楽しい悪戯の実行を心待ちにする、少年のような喜びが見て取れた。

絶対に、実行する。必ず、成し遂げる。それは彼の中での決定事項である。死神ら障害の存在は単に藍染を楽しませるだけで、彼自身、障害の存在を楽しんでいるんだろう。漠然と市丸はそう思った。・・・ただ子どもの悪戯と違うひとつには、自他の生命を賭けていることにあるが。
「なるほどねえ。藍染はんらしい」
市丸はそう言うとさも今思い出したとばかりに、そういえばまだ続きがあるんやった、とふたたび端末を操作した。
「続き?」
「まあまあ。見てください」
画像が動き出し、山本の次に出てきたのは―――雛森桃だった。藍染が不要と判断し、斬り棄て置き去りにした少女。

意識を取り戻して間もないのか、それとも覚醒しても体力が回復していないのか、目の下には深くくまが淀んでいる。もともと華奢な体つきであるのがさらに痩せ細ったか、死覇装を着た上からも肉が殺ぎ落とされているのが判る。
その彼女がか細い声で、画面の向こうの日番谷と会話を始めた。

「殺したのと違いますの?」
画面を見つめたまま、市丸が問うた。
「そのつもりだったがね。案外としぶとかったようだ。あの場には四番隊長殿もいたことだし、生き延びさせてしまったね。運がいい」
藍染はまるで自分が関与していない事のように、感情の起伏なく答えた。驚いたそぶりはない。

映像の中の少女は日番谷が気遣って投じたらしい冗談に少し怒り、ほんの僅かだけ、かつての日々のように無邪気な顔を見せる。
そして、会話が途切れた一瞬の沈黙の後。
藍染を殺してしまうのか、と日番谷に問うた。
そして、すべてを欺き己の身に絶望を刻み込んだ男を、『 どうか助けてあげて 』、と。
残酷なまでの真摯さで、そう懇願した。

だがそれもそこまで。
雛森はじっとりと脂汗をかき始め、衣服を握り締めて、痛みを堪えるように、
きっと彼にも理由があって今の行動に及んでいるのだ、或いは、彼の側近とされる人物の思惑であるのかも知れない―――
そう必死にまくし立て始めた。そのさまは明らかに錯乱状態に陥っている。
見かねたのか、ふいに山本の手が伸びて雛森の意識を飛ばす。そのまま、床に崩れ落ちそうになるのをかろうじて人に支えられ、奥へと消えた。
映像はそこまでだった。

砂嵐へと変わった画面を見ながら、おやおやおや、と市丸が盛大にため息をついた。
「心外やなぁ。雛森ちゃん、ボクを悪者と思うてはる」
「・・・悪者には違いあるまい?」
「とはいえ、ねぇ。これじゃボクが藍染はん裏切るみたいやないですの」
「はっ・・・面白い意見だ」
「またそないな」
くつくつと。さも無邪気な冗談だとでもいうように互い、笑う。或いは、そう見えるように笑う。
あらゆる可能性に誠実であれ―――それが完璧主義者たる藍染の信条であるし、それを熟知する市丸だからこそ、互いに腹を探りながら笑った。探られて痛いかどうかも、決して表に出さないのは両者共に同じだが。

ひととおり雑談を終えると見るや、藍染は踵を返して戸口に向かった。暗い室内に鈍い光が射す。
「どちらへ?」
「崩玉の負荷試験の様子を見に行くよ。順調に成熟してくれているといいんだが」
「仕事熱心ですねえ」
「ようやく死神の諸君がこちらの動向を把握してくれたんだ。ご期待に応えて、全力を投じてやろうじゃないか」
「さいですね。・・・いってらっしゃい」
閉じられる扉に市丸はひらひらと手を振って送り出した。
「なるほど、ねえ」
そして部屋が闇に戻ると、ふたたび、あの愚かな少女の姿を映し出す。
無情の暴力に憎悪で応じようとせず、苦しみながらも彼の生を望む雛森の姿は、市丸からみればまさしく滑稽の一語に尽きる。あるいは首を掻かれても絶命しきれない小鳥のようにも。生も愛も、執着を棄てられぬならいっそ、その舌自ら噛み切れば楽になれるだろうに。

が、それは自分の主も同じか。と市丸は嗤った。
長年傍に仕えていれば判る。雛森の映像を見る間、僅かに藍染の霊圧が震えた。彼自身でも気付いていないかもしれぬ小さな揺れ。拘泥を棄てきれなかったのは雛森だけではなく、恐らく藍染とて同じ。・・・結局彼はあの子を殺すことも、自分への憎悪で心を汚してやる事も叶わなかったのだ。
「藍染はんらしいわ・・・とても」
実質、力量において今後雛森が我らに仇なすことなどあり得まい。
しかし、精神の部分においてもっとも藍染を追い詰める存在があるとすれば・・・或いは、あの少女なのではあるまいか。

計画の遂行に完璧を期する市丸の中で、うすい憂慮が浮かんでは消えた。



 ●


「・・・解せんな」
かつりかつりと自分の足音が響く中、藍染は小さく呟いた。
解せん。そう心の中で繰り返す。先程の映像のことだ。
残像のように焼きついて離れない、吹けば消えそうなあの娘。彼女は何と言った? 『 助けてあげて 』?
憐憫のつもりだとでもいうのか。ふざけるな。

藍染の歩みが早くなる。ぎりりと両拳に力が入る。彼が久しく忘れていたこの感情は、怒り、だ。
雛森は『 優しい隊長 』がもはや存在しないのを理解している。だがまだ容れられてはいない。故に市丸に唆されているなどと薄い理屈をつけて叶わず、体が悲鳴をあげるのだ。あの震えと汗を見ろ。最早副隊長らしからぬあの姿を。藍染は唇を歪めた。嗤おうと試みて。
幻想を振り切れない彼女は愚かだ。藍染はそんな彼女を存分に蔑んでやりたい、と思う。
しかし、湧く感情は憤怒。なぜ見下す事すら叶わない? 

藍染は立ち止まり、己の手のひらを見つめた。そして刀で雛森の身体を貫いた時のことを思い出す。確かに、自分はこの手で彼女の夢も希望も喜びも全て砕いた筈だったのに。なぜ生きている。なぜ殺せなかった。
これから、自分はあの少女に何を望んでいるのか。この手でどうしたいのか。
私を助けたいなどと偽善振りまくおこがましい身を、今度はずたずたに切り刻んでやろうか?
或いはこちらに引き込んで使い棄て、ふたたび同胞に刀を向ける姿を笑ってやるのも一興か?
それとも・・・

それとも。

「・・・馬鹿馬鹿しい」
ひとつ、呟いて眉根を寄せる。
藍染は再び窓の外に目を向けた。見上げた空は先程と変わる事なく淀み、青空も、太陽も、ここには無い。
今更ながらに、尸魂界と遠く隔てた場所にいるのだと感じられた。
もうあの陽だまりの中に還ることなどなく、この目も光の明るさに最早耐えられまい。

すべて自分が望んだ結果だ。後悔など、決して。



   Fin.


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