京楽春水が双極の丘で反逆者・藍染惣右介が去る姿を見た時に感じたことは

 実のところ、彼が藍染と知り合った当初の印象とあまり変わりはなかった。


 即ち、『 この男は安寧のうちに死ぬるまい 』という確信である。



『 道化芝居 』
  − The proof of the pudding is in the eating( therefore his world is ). −



京楽は時折、笠を目深に下げては藍染と共に杯を傾けた夜のことを思い出す。

あれは確か季節の行事に名を借りた、隊合同の宴の席。藍染は喧騒を逃れるように、目立たぬ渡り廊下でひとり呑んでいた。
偶にこれを見かけた京楽は、なかば強引に隣に陣取った。特に腹があった訳ではない。ごく単純に、酒宴を辞する傾向にあった藍染と差し向かいで呑むもうと思っただけのことである。

今にして思えば、それまで藍染が酒の席で人と接するのを避けてきたのは、酒の力で本性を覗かせることを恐れていたからなのだろうか。 いや、そうではあるまいと京楽は思う。
馬鹿騒ぎに背を向け、静かに月を眺めて杯を傾けていたあの男は、単にひとり孤独に懊悩を遣るのを好んでいたのだと、そう確信する。それは彼が去った今も変わりない。

ともかくもこの時、先輩である京楽の誘いに、藍染は苦笑いしながら応じた。
隊の新人のことやら、共通の恩師の話やら、よもやま話に花を咲かせて徳利が軽くなりはじめた頃、話は天気の話になっていた。確か今夜は月が綺麗だから明日は晴れる云々だのと、たわいもない話題がもとだと京楽は記憶している。

「知っていますか、京楽さん、」と、藍染はそう言って月を指した。
「あの満月、大きいと思います?」
「へ?」
示された月は煌々と照っていつも通り空に浮かんでいるが、それが大きいと思うか、だと?
京楽は藍染の真意を計りかねた。眼鏡の奥の双眸はしっかりとしていて、酔った様子もない。
「・・・どゆこと? 月が大きいかどうかって?」
「ええ、比べて欲しいんですけど、月が地平線から出たての瞬間を思い出して下さい。地平の月と今の天頂にある月、どちらが大きいですか?」
昇り始めた月と天頂にある今の月――はて、一種の頓智のようにも思えるが、果たしてどうか。京楽は腕を組んで考えた。

子どもの頃のなけなしの記憶を紐解いてみると、遊び疲れた夕刻に、東の空から満月が昇るのを眺めてはその大きさに吃驚した覚えがある。それは確か、今宵の月よりも大きかったと思うのだが。
「うーん・・・出かけの月の方が大きいかな?」
「正解です」
藍染はにっこりと笑った。そしてそのまま、「同時に、間違いです」と続けた。
「月の出が人の目に大きく見えるのは本当なんですよ。でも、実際は月の大きさ自体はもちろん変わらない」
「そりゃそうだ。月が伸び縮みする筈ないもんねえ。どうして大きさが違って見えるんだろう、蜃気楼みたいなものかい?」
「いいえ、単に見る側の錯視なんですよ。地平線と一緒に見ると比較対象がある分、大きく見える。逆に何も無い空に浮かんでいると小さく見えるんだそうです」
藍染は地平線と天空とを指して説明した。ふんふんと話を聞いていた京楽は「なるほどねぇ」と素直に感心していた。
「個人の主観それ自体によって事実をねじ曲げて知覚し得る・・・と、そういうことか」
「ええ」
「こりゃ一本とられた。で、惣右介くん、この話のオチは?」
「や、特にないんですけどね」
「なぁんだぁ・・・。んん、オチはないけど女の子と呑む時に薀蓄として流用したいから、八十五点」
「おやおや。盗られちゃいましたか」
「ボクから及第点取れただけでも良しとしなよ」
そう言って互いにくつくつと笑ってまた酒を注ぎあった。

「なあ、惣右介くん、」
遠くから聞こえる平隊員の無邪気な笑い声を聞きながら、京楽は言った。
「どんな月でもさ、こうして酒に映しとってしまえば見た目の大きさなんて関係ないよねえ」
「え?」
京楽は自分の杯を藍染に示した。猪口に満たされた上質の酒はとろりと揺れ、天空の満月を映して美しい。
「地面すれすれの月でも、天高く飛ぶ月でも、こうなっちゃあ大きさ云々は変わらないよなあ」
「あ、」
思い当たった藍染は、まるで子どもが新たな発見をしたような顔で自分の酒にも月を映した。
「ああ・・・。言われてみれば」
確かに、水鏡に映された月は人の錯視に捕らわれず、同じ大きさにしか見えない。たわいのない小噺が、意外な結末を与えられてしまった。藍染は手の中の月を眺めてしばし考えると、一気に杯を呷った。そして空になった猪口を見せながらすこし意地悪く微笑んでみせた。
「じゃあ、こうして飲み干してしまったら?」
京楽はそれを見ると、はっはと笑いながら傍らの徳利を手に取ると、
「そしたら、こうするのさ」
有無を言わさず、空の杯になみなみと酒を注いだ。
「何度でも注げばいいだけのことだよ」
「酷いなあ。これじゃ終いには酔い潰されてしまう」
してやられて、藍染はふたたび手の中に映った月を見て苦笑いした。僕は京楽さんほどうわばみじゃないんですから・・・とぶつぶつ言いながらまた杯を空け、手で蓋をした。
すかさずまた酒を注ごうとして拒まれた京楽は笑うと、
「酔えばいいじゃないか。僕だけじゃなくてさ、浮竹とか、君んとこの副官さんもみんな、君が酔っぱらって月なんて気にしなくなるまで、何度でも付き合ってお酌してくれるよ」
と言った。
声は重くはない。しかし、いつもの京楽の軽口には含まれない声音に、藍染の表情が一瞬だけ真顔に戻ったのを京楽は見逃さなかった。
「だから、安心して酔っ払っちまいなさい。・・・君はさ、惣右介くん。たまには酒でもかっ食らって、ものを考えるのを止めた方がいい」
「・・・」

藍染は曖昧に微笑み、杯を隠したまま、答えなかった。



彼の反逆による一連の事件は、これより半年後のことだった。



 ●



夜も更けた八番隊隊首室。京楽は最後の書類に目を通し捺印すると、大きく溜息をついた。普段かなりの部分で仕事を処理してくれている副官の有能さが、こういう時よく判る。彼女はそろそろ宿舎に帰っただろうか、それともまだ五番隊で補佐業務を続けているだろうか。・・・きっと後者だろう。京楽は軽く伸びをすると、全身を椅子に預けなおした。

件の朽木ルキア処刑騒動、そして藍染らによる反乱の後、護廷十三隊は多忙を極めている。
なにせ隊長が三名も姿を消した上、有事の可能性ありとして現世にも一名派遣されているのだ。いつ勃発するかもしれない大掛かりな戦闘に控えて常時臨戦体制まで敷かれており、通常の魂送業務・流魂街統制も欠く訳にいかない。実質人手不足であり、これまで安穏と末端の仕事を任されていた平隊員までもが戦闘準備に事務処理にと奔走する始末――。
しかし、いまはそれが好都合と京楽は見る。多忙さは人望篤かった隊長連の離反という事実から隊士らの衝撃を逸らすには良い材料だった。特に三番・五番・九番ら、直々の上司に裏切られた隊にとっては忙しさにかまけて深く考える機を逸する――それでいい、と京楽は思う。

現在、表面上はこうして賑々しく日常が流れている。が、所詮かりそめの平穏であることも京楽は感じ取っていた。反乱の統率者たる藍染に縁を持つ者たちは特に、平常を装った表情の下に昏く深い想いを抱えている。


統学院入学当初からの京楽の友人である浮竹十四郎などは特に、藍染の数々の悪行を許せずにいる。無理もない。永きに渡り自分たちを謀っていたのは勿論、部下である朽木ルキアの罪状を操られ、挙句殺されかけたのだ。

浮竹が怒る理由がもう一つある。藍染のその手で瀕死の重傷を負わされた十番隊長・日番谷冬獅郎と五番隊副隊長・雛森桃の存在である。
まだ死神としてはあどけない彼らを浮竹はかねてより目に懸けていた。しかし今回の件であの子らは藍染の手によって無残に傷つけられたのだ。しかも調査によると、死亡偽装に伴いこの二人を同士討ちさせようとした痕跡があるという。―――流魂街時代から姉弟のように育ってきたこの二人が、互いに刃を向け殺しあうようにわざわざ。
もともと大家族の長兄として幼い弟妹の面倒を見てきた浮竹だ。朽木の件に加え、かつての同胞を即座に我が敵と断ずるに充分だった。平素の安穏とした表情と雰囲気は務めて崩さぬようにしているらしいが、滲み出る怒りを京楽は感じ取っていた。


もう一名。日番谷少年は四番隊に命を救われた後、生来の力かそれとも怒りゆえか、驚異的な回復をみせた。
そしてやはり藍染への怒りに染まった。現世に先遣隊を派遣する段に、隊長としては真っ先に手を挙げたのも彼である。幼馴染の受けた心身の疵と、自分の敗北。刺し違えてでも俺こそが奴を――藍染一派を確実に滅ぼさんと、他数名を引き連れて現世に赴いていった。
少年特有の癖なのか感情を露にしないよう努めているようだが、その怜悧な瞳に昏い怒りが灯っていたのを京楽は見逃さない。

・・・それでいいのだ。日番谷の姿勢に、京楽はどこか安心を覚える。彼の怒りは、彼の憎しみは尤もだ。どうかその清潔な憎悪のまま、藍染に一矢報いるといい。

そう、藍染の心の裡に想いを馳せるのは、己だけでいいと思う。大逆の罪人にある種の同情すら憶えるのは、この己だけで。



 ●



藍染は見た目からして温厚、多くの隊員が尊敬し隊長連も一目置く人格者だった。その言は誠実、説く理は実直。多少穏健に過ぎるきらいはあったものの、『 理想的な隊長 』として異を挟む者はいまい。京楽も反乱以前の藍染を評するとしたら、同じ言葉を使うだろう。

京楽が彼を知ったのは統学院の最高学年の春。卒業前に護廷十三隊に入隊することが決定していた京楽と浮竹が、新入生総代を務めた藍染に行事上の連絡を伝えに行ったのが最初だった。
見た目は、よくいる賢そうな学生だった。礼儀正しく、驕りたかぶるところはなく、すぐに教員にも他の学生にも好かれそうな物腰――実際、浮竹はこの下級生に自分と似た空気を感じたのか、何かと親身になっていたようだ。

京楽はといえば――なぜか、皆が持つような印象をこの穏やかな青年に見出す事ができなかった。
生来、真面目といえない性分である自分が、優等生の彼になにがしかの反発を感じているのか。当初はそう考えた。しかし違う――藍染と話すたびに感じたのはけっして不快感ではない。それは不安定さと言い換えることも可能だったろうか。
確かに藍染青年は理知的で穏やかだ。しかしその中に京楽はある種の齟齬を見いだすように思えた。たとえば藍染青年がものを話すとき。その目はいかにも真実を語るように輝き、語り口からは一種老成したとまで感じさせる説得力を滲ませる。だが、完璧な人物像であるが故に京楽は緊張を感ずる。藍染が自分たちを騙していると感じたわけではない。ただ一歩引いた目線で傍観すると、藍染自身が己の言を信じるその姿勢自体が違和感として際立ってしまうのだった。

・・・この青年を額面通りに印象を持ってはいけない。おそらくは彼自身も気付いていない矛盾を、この男は抱えて生きている。
譬えるならば、少年から青年へ脱皮する際に纏うある種の懊悩のようなものだろうか。俗世のなかで、なにものによっても傷つくからだを守るために作り上げた虚構の鎧。誰もがいっとき罹患する精神の熱病を、藍染青年はどこか収斂させられずにいるのではないか。・・・

彼が五番隊長に就任し、自分と位を同じにしても藍染に対するこの印象は変わらなかった。齢を重ね人徳をいや増すなかで、藍染の中の繊細な矛盾はなおも硬くわだかまっているように京楽は感じた。
そしておぼろげに予感する。将来、藍染はその捨てきれぬ青臭さと矛盾故に命を落とすのではあるまいか。更に彼自身が己の思念に殉死することを喜びとするのではあるまいか―――?

この予感が的中してしまったと京楽が感じたのは、旅禍侵入騒動の時だった。自分の副官が青ざめながら語った藍染惣右介殺害の報に、京楽は愕然としつつ、同時に心のどこかで『ああ、やはりか』と感じたのである。この時点で誰に殺されただの、何故敗北しただのという情報を京楽は持たない。
ただただ、かねてより藍染に抱いていた危うさがこういう結末を得たことに、静かに黙祷を奉げたのだった。


この暗殺事件が完全な狂言であり、死んだと思われていた藍染が反逆者として京楽らに合間見えた時、確かに京楽は驚いた。
しかしこれまでと豹変した藍染の言動と、我こそが天に立つと言い残す姿を見届け、どこか自分の藍染に対する印象のなかで、ひとつの整合性がついたようにも思えて納得がいったのである。

藍染の穏健な仮面の下で息づいていた昏い思念の正体はこれか。
世界に疵をつけることを以って己の生きる道とする少年の宿痾。彼の反逆の根源は、その哀しき吐精なのか――。



 ●
 


一連の事件以降、刑軍により関係者の詳細な調査が行われ、反逆者三名はもとより各副長・席官の当時の行動は逐一調べ上げられた。

これにより藍染の暗殺が発見された前夜、私服の雛森が藍染の部屋を訪れたことが明らかになっている。戦時特令下であるとはいえ通常の隊副の関係からは明らかに不自然であり、二人が個人的関係を持っていたものと推測される。
彼らがかねてより男女関係にあったのならば、藍染の反逆に伴い残された雛森にも当然、疑いの目が向けられるのが道理。――だが、雛森自身が藍染の手にかけられ、何より以後の彼女の悲嘆と憔悴ぶりから、彼女が間者であるとの疑念を向ける者は一般には少ない。(無論、隠密機動は密かに監視を続けているに違いないが)

藍染に刺された彼女は、四番隊、特に隊副の卯ノ花・虎徹ふたりの献身的な治療により、一時の昏睡による衰えからも回復を見せ、表向きは隊長不在の五番隊を懸命に切り盛りしているように見える。しかし藍染に裏切られ殺されかけたという精神の疵はいかんともし難く、未だ彼女は悲しみの淵に居る。現に先日、山本が現世先遣隊との連絡に日番谷と話をさせた際、藍染をまだ信じ、彼を死なせないでくれないかと日番谷に頼んだと京楽は伝え聞いている。

それは彼女が藍染の催眠に未だ捕らわれている所為か。それとも女の愚かな妄執か。・・・悲しいが後者だと京楽は推測する。自分が女の艶を好む故の経験論でもあるまいが、京楽には悲しみに暮れる彼女の姿をひとめ見れば判った。あれは自分にとって最も利のある行動を取れぬ、悲しき恋に溺れる者の姿だ。


京楽にはひとつの疑問がある。なぜ藍染惣右介は、あのように無力で稚い少女を自分の傍に置いた?
自分の信念を理解する同胞としてなら、より強く頼れる人材を副隊長として傍に置き、野望達成の手伝いをさせても良かっただろう。
あくまで騙し続けるのであっても、同胞討ちにより十三隊内の撹乱を狙うのであればより他人に影響力のある手駒があった筈だ。
それを何故、鬼道に秀でているとは言え副隊長連のなかでも弱い部類の彼女を、副隊長にまで任じた?

統学院在籍当時から藍染に心酔し、かつ知己の多い雛森のことだ。さぞや『優しく立派な藍染隊長』を喧伝し続けてくれたろう。しかし藍染が当初から雛森にそれをさせる為だけに近付いたとは考え難い。自身も幅広い人脈を有した藍染が普段通りに過ごすだけで、偽りの人格は容易く皆に印象付けられていただろうから。
藍染は何を考えて、ある意味では自分の対極にいる少女をもっとも素性を晒してしまい易い場所に置いたのだ? 適当に距離をとって飼い慣らした方が藍染にとっては余程楽だっただろうに。(ましてや肉の悦びを求めていた訳もあるまいに)


疑念を渦巻かせた時、京楽はひとつの絶望的な仮定に行き着く。
・・・もしや、藍染は。
誰かに愛されるという真似事が。誰かを愛するという真似事がしたかったとでもいうのか?
・・・だとしたら。そんな愛は悪辣な諧謔以外のなにものでもあるまい。飢え荒野を彷徨う孤狼の如く、世を呪い他を憎み己の肉をもすら喰らい尽くさんとする男が、何をいまさら愛など求めた!

「虫が良すぎるぜぇ、惣右介くん・・・」
文句を言ってやりたい対象はとうに去ったというのに、京楽は口に出して言ってやらずにいられない。
自分の地位を危うくしてまで、藍染への愛を否定しない雛森の姿は愚かしい。だが愚かしさを伴いながらも、聖性すら纏って京楽には眩しい。まるで泥濘のなかでひと掬い純化された透明な上澄みのように。
藍染の心の昏がりを知る京楽は戦慄する。或いはあの男、雛森のこの弱弱しくも侵し難い光に吸い寄せられたのだろうか。そして結局自らの手で汚し、絶望に放逐せねばならぬ程、穢れぬ少女の眼差しは貴様を揺るがすものだったとでもいうのか・・・?



だが。いかに藍染の行動の矛盾を挙げ連ねてそこに人間性の余韻を求めようが、畢竟、悪は滅せられねばならぬのだ。
先の騒動の際、京楽は山本と正義の意義について問答した。師父たる山本の言は一片の道理を含んでいるし、京楽も否定された己の信念を曲げるつもりはない。いわば世の正義など自分の立ち位置と為政者によって決定する、只それだけの事にすぎない。

しかし、悪は違う。今となっては藍染にとっての理想世界を知る術を京楽は持たない。しかし恐らくは藍染にとっては必然、なるほど人生を賭すに足る理念であるのかも知れぬ。
だが狂気へと足を踏み入れ、無垢な子らを血で染め上げ、数多の魂の犠牲など要した時点でいかな高潔な理念も唾棄すべき詭弁と堕するのだ。故に絶対悪。存在を消滅されることによってしか贖われぬ。京楽はそう断ずる。いや、断じねばならぬ。

故に我ら全死神は藍染を討つ。無慈悲に、絶対的に、全力を以って。
「・・・だから・・・」
京楽は常時帯刀令が出て以降、肌身離さず身に付けている自分の刀を見やり、自分を納得させるように呟く。
「だから、惣右介くん、・・・俺は君を殺すよ」

もし、明日にでも藍染と対峙する機が巡ったとしても、自分は間違いなくあの男を斬るだろう。そこに逡巡はない。恐らくは、他の全ての死神達も。あの少年が怒りを燃やすそれと同じに。
・・・それでいいのだ。我らの世界に仇なす悪を斬る。それでいい。・・・藍染の悲しき煩悶を知るものは、我ひとりのみでいい。
京楽は鞘を握る手に力を込めた。いずれあの男を殺す為に向ける刃の堅さを感じながら。



・・・ただひとつ、希うことが許されるのならば。
もっとも愚かな、もっとも弱きあの少女だけは、彼の死を悼んではくれまいか。

彼が嘲り踏みにじりたかったまがいものの恋。それはあの男の狂気に対する、唯ひとつの反証に他ならない。

だからどうか、あの少女の恋がどうか、最後まで光を失わずにいて欲しい。
そしてあの男を救うことができない自分の代わりに、どうか、透明な涙を流し続けてはくれないだろうか。・・・



京楽はふと、あの夜と同じように月を求めて空を見た。
だが宵闇に染まった空はくろぐろと広がるばかりで、弱弱しく瞬く星しか見えない。

ああそうか、新月なのだとしばらく経ってから気付いた。


僅かな星明りのみの宵はいつ果てるとも知れず、暗澹たる虚空に京楽は一度だけ目を伏せた。



   Fin.


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