『 朝告鳥も告ぐるを憚り 』
  − the best half ? −



これは緋真が朽木白哉のもとに嫁して間もない頃のこと。


早朝、と呼ぶには些か早い刻限。
空はまだ色濃い闇に染まり、東の地平だけが僅かばかり紺青になり始めたか、どうか。そんな頃合い。

朽木の屋敷もしんと眠りに包まれていた。当主夫妻の部屋も、まだぬるりとしたうす暗闇のなかにある。
ふと、白哉は眠りから引き戻されて瞼を開いた。すぐ隣には迎えて間もない妻。
その肩口を包む夜着がほの白く薄闇に浮かぶ。白哉は浅い意識の中でふと手を伸ばし、それを引き寄せようとした。
と、

「きゃ!?」

突然高く声が上がる。起こした、というよりは気配を潜めてていたのが露見し、驚いた声音。
「・・・眠っていたのではないのか?」
「びゃ、白哉さまこそ、起きていらしたんですか?」
「いや、寝ていたが・・・今ので起きた」
途端に緋真の顔が赤くなる気配がある。
「ごめんなさい、わたしが大きな声なんて出したから・・・」
そう言ってそもそと顔を包んで恥らう動き。同じ布団にいるのだから、白哉にはそれがよく判る。
「構わぬが・・・どうした、まさか夜からずっと眠れなかったのか?」
「いえ、ついさっき一度目が覚めてから、少し眠れなくなっただけです」
「心配事でもあるのか?」
「いえ」
気遣わしげな白哉に心配を掛けたくないのか、緋真は言おうか言うまいか一瞬迷い、ようやく、
「いえ・・・あの、お布団が、軽いものですから」
もそ。と、掛け布団で顔を隠すようにして、そう小さく呟く。
「布団?」
「こちらに来るまで、こんなに軽くてあったかいお布団で眠った事がなかったので・・・慣れなくて。それで、一度夜中に起きたら、眠れなくなっちゃったんです・・・」
「・・・」

成程。生まれつきこういう布団で眠ってきた貴族の白哉には想像がつかないが、平民として古い綿の布団を使ってきた緋真には、それが上等なものと判っていても、温かく軽すぎる羽根布団に違和感を覚えるのだ。
珍しく白哉の顔に自然、笑みが浮かぶ。勿論妻の小さな戸惑いを哂う意味ではなく。
「・・・ふ、」
「やっぱり・・・おかしい、ですよね」
「いや、・・・おかしくなどないさ」
そう言ってゆっくりと髪を撫ぜれば、掌に感じる彼女の体温は途端に熱を増すように感じられた。
触れられる度にまだ緊張を来たすのか、すこし、緋真は身体を硬くする。そこもまた愛おしい、と白哉は思う。
「・・・・・・布団が軽くて眠れないというのなら・・・」
ふと、白哉が身を起こす。

「こうして、私が緋真の重石になってやろうか」

そう言って、彼女を自分の下に組み敷いた。
「白哉さま・・・!?」
驚いたのは緋真である。夫が何をしようとしているのか、頭が追いつかずに、
「あの、ちょっ・・・え?」
そう戸惑いの声を上げるだけ。しかし白哉はそれを意に介した風もなく、か細い身体を潰さない程度に自分の体重をかけていく。
「重いものが上にある方が、良く眠れるのだろう?」
さらに緋真の耳元に唇を寄せ、いたずらにそう囁きすらする。
「い、いえその、そうではなくて、あの・・・」
緋真は完全に全身を強張らせて、かろうじて両手で白哉の肩を押し返すが、無論白哉の身体はびくともしない。
それに乗じて白哉は鼻先を白い首筋に埋め、耳翼など甘く咬むものだから、緋真は堪らない。薄い夜着越しに肌の大部分を白哉に接し、今更ながらに弾けんばりの鼓動が全身を駆ける。

「どうせなら、このまま・・・」
「!?」

熱を孕んだ呟きと、大きな手が帯を解きにかかる段になって、ようやく緋真は男の体の下でばたばたと暴れ始めた。
「やっ・・・やです! やめてください、白哉さま!」
「・・・嫌か?」
どこまでも真面目にどこまでも寂しそうに問い返す夫の声に、緋真はどきりとしたように、
「だって・・・あの・・・もうすぐ、朝、ですし」と、消え入りそうな声で答えた。
薄暗い中でも、耳まで真っ赤にしていることは明白だった。眼も恐らく泪眼だろう。

その答えを聞くと、ふっと白哉は身体を離し、無言のまま緋真に背を向け横になってしまった。
「あ、あの・・・?」
拒んだことに、まさか怒ってしまったか。夫の沈黙に緋真は戸惑い、心細げに、おそるおそる広い背中に手を伸ばした。
すると。

触れた身体が小さく震えている。そして声を殺して忍び笑っている気配。
「白哉さま、まさか・・・」
「・・・いや、すまん・・・、・・・っくっ・・・」

普段からはとても信じられないことだが、あの白哉が笑っている。つまり先程の行動は、緋真をからかっていたのである。

「も、もうー・・・っ!!」

理解した途端に緋真は恥ずかしさと怒りで動転した。
小さな握りこぶしで、遠慮なく白哉の背中をぽかぽかと叩きはじめる。
「なんてことするんですか、もう! 白哉さまのばか・・・っ!」
「悪かった。悪かったからそう怒るな。それにしてもさっきのお前は傑作だったな・・・くっ・・・は、ははっ・・・」
「笑わないでください、ばかばか! もう、わたし本当に困ったんですよ!?」
そう言って、緋真はとうとう白哉の夜着を握り締め、背中にごりごりと額を擦りつけた。ちょうど子供がふくれてそうするように。
「は、ははっ・・・、止めろ緋真、くすぐったい」
新妻から一本取ったのが余程楽しかったのか、それとも彼女の幼女じみた側面を引き出したのが嬉しいのか。白哉は笑いを止めようとして叶わずに、まだ身体を震わせていた。
「たまには緋真に怒られるのも良いか・・・ふ・・・」
「よくないですよ、もうっ!」
「また眠れなくなったら、いつでも私が重石になるぞ?」
「いっいいえ! 結構ですっ! 絶対これから起きてても寝たふりしますからね、わたし!」
「そうか・・・残念だな。私は緋真の重石になりたかったが」
「か、からかわないでくださいーっ!」


薄ら闇は未だ色濃い。陽もまだ昇る頃合いになく、朝告鳥も啼く気配をみせない。

夫婦がひとつ布団でじゃれ合う声は、なおも無邪気に暫く、続いたという。



  “ 在天願作比翼鳥、在地願為連理枝 ”
      ―――――― 白居易『 長恨歌 』



   Fin.


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