『 霜天に坐りし者に説く 』
  − keep your fangs sharp, young lion −



朝靄けぶる早朝。練武場に二つの人影がある。微動だにせず、斬魄刀を構える死神が二人。

一人は小柄な少年。普段はましろの羽織を纏っているはずが、今は着古した墨染めの道着を着込み、愛刀を下段に構えている。
一人は大柄な男。少年と同じ道着を身につけ、構えは中段。

そとみ、真剣同士による型稽古の一幕にも見える。だがこれは型稽古ではない。
なぜなら二人とも、目隠しをしている。その上、沈黙のうちに放たれる気合は闘いのそれだ。血を求める、それだ。
互いに殺しあう気迫でいる。目隠しは余興に過ぎない。より高次の戦闘への。

対峙はあくまで静寂の中に保たれた。双方動かず、構えた刀はぴたり、中空に縫い付けられて揺るがない。
長い長い年月、稽古を重ねた者にのみ許される不動の構え。身体が、筋肉が、骨が、刀を持つ姿勢を記憶しているのだ。呼吸の僅かな身体の揺れさえ刀身には反映されない。
どれ程の間、二人はそうして構えあっていたのか。人工で作られた暗闇の向こう、気配を探りあいながら。

ふと、道場の開け放たれた窓から、枯葉が一葉迷い込み、床へとすべり落ちた。音はない。
だが、二人は視野にも聴覚にも頼らずともその事実を知る。

よってこれを契機とした。

「参る」 少年 ―――― 十番隊長・日番谷冬獅郎が口を開いた。
「どこからでも」 男 ――― 五番隊長・藍染惣右介が応じる。

瞬間、部屋の空気がたわんだ。日番谷の気配が消えている。
藍染は驚かない。驚かないまま、ただ緩やかに構えを右に向ける。

きいん。足音は無い。ただ金属音のみが響いた。

右胴を狙い、跳ね上げた日番谷の刀身を、藍染は鍔で防いだ。そのまま肘を縮め、相手の斬撃の勢いを利用して鍔迫り合いに持ち込む。氷輪丸は容易く流れに乗せられ、為されるが侭に日番谷は接近を余儀なくされる。

鍔迫り合いのさ中、藍染がいつもの鷹揚な笑みを浮かべた。目隠しのために勿論見えてはいないが、日番谷は間近でその気配を知る。
・・・まだ。まだだ。いいようにあしらわれたままで終わらない。ぎり、と知らず、奥歯を噛み締めた。

渾身の力を注いで握られた刀は、きりきりと音を立てる。
刃は毀れまいか。そんな逡巡は無い。毀れても、折れても、力を抜くわけにはいかないのだ。
心の底から、全身の細胞の全てを以ってして、相手に勝つ。ただそれだけを心に希ませ、ただそれだけの為に力を振り絞る。
迷ってはいけない。疵付けることを恐れてはならない。そうでなければ、この稽古に意味など無いのだ。
眼を覆う布の向こうに居るはずの相手を、日番谷は凝視する。初撃をかわされた悔しさが霊圧を高める。そしてその悔しさこそが、次撃への最大の原動力となる。

一瞬だけ右手の力を緩めた。同時に、身体を藍染の左側にすべり込ませる。柄を握った左手のみを軸に、今度はこちらが藍染の力を利用し、抜き胴を狙う。その筈だった。

しかし阻まれる。
一瞬、日番谷には何が起きたのか理解できない。幾度となく体に刻むように繰り返し稽古した動きの筈。しかし、阻まれる。
なぜなら胴を狙った氷輪丸を、鏡花水月の刃が受け止めていた。完全に動きを読まれている。
藍染の胴を斬る筈だった刃は相手の刃を滑り、一瞬、音楽的な調べが響く。ああ、美しい音だ、と二人は思う。ただの金属音と呼ぶには、なんとこの音は美しいのか。
討ち抜けず藍染の左体側をすり抜けた日番谷は、振り返り再び藍染の方に身体を向け、構えた。
上段。次に賭ける。

右足を踏み出す。送り足で地を蹴る。床を滑るように跳躍し、一撃は面を狙って。しかし再び阻まれる。二撃、三撃と阻まれる。
そのまま応酬を繰り返す。目隠しで互いの姿も太刀筋も見えぬまま、気配のみで刀を交える。しかしどちらも決め手に欠ける。相手の剣の癖を知り尽くしている所為だ。視覚に頼らぬ戦いなれど、いつまでも埒があかない。

日番谷の体力が削られていく。汗は出ない。呼吸も乱れない。速度も落ちない。しかし確かに消耗を感じる。このまま決定打を出せずにいれば、いずれ落ちる。
柄を握る左手を離す。藍染が刀を振り上げた一瞬、ほんの僅かな隙に、刀を腰に戻す所作をする。勿論鞘はない。だから空いた左手で、戻した刀の背をぱん、と弾く。
そこから、抜刀の要領で刀を払った。真横に、居合いを最後の一閃として。自分の最高の力を以ってして、斬る。

手応えはない。胴を二つに裂く筈の一振りは、中空のみを裂いた。相手の身体はそこにはない。消えた。

すぐ傍だった。藍染は日番谷の傍まで移動していた。彼の気づかぬままに。
鏡花水月の刃先は、ぴたりと日番谷の首筋に向けられていた。頚動脈。首の薄皮にのみ、刀の先端がちくりと当たる。

「此れ迄」と、静かに藍染が告げた。

勝負が決したことを知った日番谷は、・・・は、と小さく息を吐くと、膝を折った。
崩れ落ちそうになる体を、藍染が腕を持って支える。目隠しを取って緊張が解けると同時に全身から汗が噴き出た。
「・・・格好悪ぃ」
「格好悪いと思うのなら精進しなさい。でも悪くはない。勝って満足する位なら負けて悔しがる方が上達する」
自分も目隠しを外しながら柔らかく諭す藍染に、こくり、と日番谷は頷いた。
疲れた身体を休ませる為に、藍染は自然に小さな手から斬魄刀を受け取った。丈はニ尺一寸。決して長くはない。だが一見小さなこの刀は、氷雪系最強と謳われる能力を秘めている。藍染は手にした氷輪丸と、地べたに座る小さな少年を見比べ、微笑んだ。
「どうした?」
「いや・・・。君も、この刀も、まだまだだなぁと思ってね」
「・・・まあな」
機嫌悪そうに、しかし珍しく素直に日番谷は肯定した。

確かに卍解を習得して隊長職を任されてはいるものの、若年であり、未熟であるのは日番谷自身がいちばん熟知している。現に同じ隊長である藍染と時折こうして手合わせしても、一度も勝てた試しがない。
悔しい。悔しいが、それを力に換えて強さを求めなければならない。幼い頃、守ると決めたあの少女と自分の誇りの為に。

藍染はその決意を知っている。その意を汲むかのように彼の稽古に付き合う。本来、隊長同士が手合わせするなど異例の事である。本気の戦いになればなる程、相手に手の裡を曝すことになるからだ。
しかし、藍染は付き合い稽古する。この澄んだ目をした少年に対して。

藍染は日番谷の体力が回復してきたのを見て取ると、氷輪丸を彼に返した。そしてだしぬけに、
「君の始開は、『霜天に坐せ』と言うんだっけ」
と言った。
「ああ。こいつが俺に教えてくれたんだ」
「いい言葉だね」
「そうか?」
「うん。いい言葉だ」
始開の言葉程度に良い悪いがあるのか、と日番谷は思いながら、にこにこと笑う藍染の真意を図りかね、それ以上何も言えなかった。



  ●



藍染はひとり、朝靄晴れつつある練武場に佇んだ。

少年は気力を奮い立たせて立ち上がり、帰っていった。また今日も、彼の成長の一日が始まる。
自分も間もなく隊舎に参じねばならない。また一日、欺く時のはじまり。

いつもと違うのは、掌に残る斬撃の余韻。日番谷と刀を交えるごとに、日々、痺れは大きくなっていく。
「は、」
自分の手を見つめながら、藍染は笑った。
「はは、はははっ、あははははっ」
乾いた声で笑う。心の底から愉しんでいる。
そして思う。

――――いいだろう。
己の刃と、彼の刃。磨き続けたなら、いつか少年は自分を越えるか。

それもいい、と藍染は思う。
自分の策略に綻びはない。すべては机上の計算に則って廻る。廻っている。面白いほどに。
しかしすべてが自分の恣(ほしいまま)に廻るだけであるのも、面白くあるまい?

だから藍染は運命に犀を投げさせる。
自分の望むままに動かす未来にわざと疵をつけ、不確定要素を楽しむ余裕を己に与える。


もしも。犀があの小さき刃に味方して。
我の野望を砕き、君こそが天の座に立つ器となったならば。

その時には、少年よ。

絶対純度の牙以て、この喉笛を咬み破るがいい。



  “青取之於藍而青於藍、冰水為之而寒於水”
                 ―――― 『 荀子 』



   Fin.


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