『 非汎用的戦闘遊戯 』
  − natural born fighters −



足音もなく走る影、ふたつ。
疾風の如く、岩場を駆けていた。

そのひとつは漆黒の死覇装に黄金色の髪。何とも珍しい風貌の男である。目と鼻の先を行き、けれど追いつけない褐色の弾丸を追いかける。
追う者の名は浦原喜助。弾丸の名は四楓院夜一。美しい肌に刑軍軍団長の証たる装束を纏い、艶やかな黒髪を靡かせる。
その二人が全力で駆けていた。
喜助の手には刀。湾曲した柄を持つ『紅姫』。いつでも斬撃を繰り出せるよう、抜き身である。
夜一は素手。帯刀すらしていない。何故かと問われれば彼女はこれがいちばん身軽であるから、と答えるだろう。

練習場と称されたこの空間は広い。荒野を模した広大な岩場に、ぽつりぽつりと枯れ木が数本。ご丁寧に天井までが青空のように塗られていた。
その広い空間も無限ではない。壁際が視界に入ってきた頃であろうか、先頭を走っていた女がぐ、と進路の地面に足を突き立て停止する。喜助もほぼ同時に停止する。砂塵が舞う。

身体が止まったその時には、互いに初撃を繰り出している。
片方は素手、もう片方は刀による接近戦。喜助の刀は迷いなく夜一を狙うが、刃に平行に繰り出された掌底が弾く。それが幾度も繰り返される。空気が切り裂かれる音がする。決定打はまだ、無い。
喜助は変則的に刀を操りながら足技を使う。何せ彼女は小柄だ。純粋に体重差だけをみれば一撃必殺となりうる筈だが、夜一は上体を動かすのみでことも無げにかわす。身体の軸は安定して揺るがない。逆に夜一の白打も相手の防御を掻い潜って繰り出される。数発当たるが、手ごたえがない。
「打たれ強いんスよ」
戦いの中で初めて口を開き、喜助は不遜にも笑う。もちろん攻撃の手は緩めずに。
夜一も、ふ、とだけ笑う。
「ならばこれはどうじゃ?」
そして声のみ残し、消える。瞬歩だ。『瞬神』の異名に恥じぬ彼女の得手。
ほぼ同時に喜助の視界の端、数尺先に消えていた夜一が現れる。
なかば地に伏せ、まわし蹴りのような所作で空気を大きく蹴る。当然、脚は相手に届かない距離のはずである。
だが、夜一の動作を認識するが早いか、喜助は瞬時に刀で身を庇う。そして刀身にいくつかの衝撃。暗剣だ。脚部に仕込まれていた暗殺用の飛び苦無。それを防いだ。本来であれば血霞の盾で防ぐはずが、詠唱している余裕は無い。だから、紅姫の刀身で防いだ。
防ぎきった瞬間、喜助は紅姫を捨てる。手を離した刀が地面に落ちるより前に、自らも瞬歩で夜一の背後に回る。そして白打。渾身の拳の一撃。だが。
空振る。対象が消える。

同時に。
左腕に蛇がからみついたような感触がある。夜一が自分の真横に移動していた。細く、しかし無駄のない筋肉を纏った長い腕が喜助の腕を一瞬で締め上げていた。

やられた。
喜助が悟った瞬間、夜一は獲物を仕留めた余裕でにやりと笑う。腕に絡まれた鞭のようにしなる筋肉に、ぐ、と力が入ったのを感じ、囚われた男は観念して眼を閉じた。

ごきり。
鈍い音と共に肘の関節が外された。



 ●



「やさしく入れてくださいよ、夜一サーン・・・」
「たわけ。この儂があれだけ気を遣って綺麗に外してやったのじゃ、入れ方に注文なんぞつけるでないわ」
戦闘の終了後。
同じ練習所にある温泉のほとりで、胡坐をかいた喜助と、ぷらぷら動くその腕を持って愉しげに笑う夜一の姿があった。

「いっせーの・・・せっ!」
「うがっ!?」
夜一が気合を入れ、二の腕に向かって手首のあたりからぐっと押す。
ごり、と外した時よりいささか豪快な音がして、喜助の関節がもとに戻った。
「痛ったあ〜。あのね、今のちょっと乱暴じゃあなかったですかね」
「何を言うか。なまくらな腕をまともに治してやったというのに」
なまくら? と喜助が嵌めたばかりの腕をぐるぐる回してみると、脱臼の名残りで周りの組織が多少腫れてはいるものの、不思議な事に外れる前より軽く感じる。
「最近事務処理ばかりで悪い血液が溜まっていたようだからの。節も少しずれておったぞ。これで少しはまともになったじゃろ」
そう言って夜一は得意げに笑った。なるほど、今日は久々に心ゆくまで戦ったものの、十二番隊長という職務上、喜助は最近篭って研究ばかりの日々であった。戦いの勘は鈍る筈もないが、僅かに体は鈍っていたか。
「なるほどね・・・ありがとうございます、夜一サン」
「構わん。多少鈍っていたのは儂も同じじゃ」
夜一が自分の体を見やると、刑軍軍団長の装束、その肩口のあたりの細い布が多少綻んでいる。先の応酬のせいだ。
「軍団長なんぞになってからというもの、ある程度下の者に仕事を回さねばならん。つまらぬ。ほんとうに、つまらぬ」
つまらないだなんてそれが軍団長様の言葉ですか、と喜助は言おうとして止める。彼女が思う存分身体を動かす機会がないのを知ったからこそ、自分も無理に時間を作って今日、幼少時そうしていたように手合わせしたのだ。
「ま、ご満足いただけたんならいいんスけどね」

一通り身体を動かし、膚にうっすら汗を浮かべた夜一は実に活き活きとして見える。喜助はそんな彼女の姿が好きだ。その姿に野に放たれた野生の獣を思う。美しい、とても美しい獣。
くくっと笑い目線を下にやると、先程知らぬうちに攻撃を食らっていたのか、死覇装の胸元が切れている。
「おや、アタシもやられてましたね」
襟元を引いて傷口を確かめると、小さく肌が裂けて血が出ていた。
「お主のことじゃから霊圧で傷などつかなかったと思っておったがのう」
「肘をとられたことといい、アタシも相当鈍ってたんスね・・・いて」
夜一が近づいてぐに、と傷を指で確かめる。
皮膚の裂け目は小さいが深く、鮮血がひと筋、白い肌をつるりと流れた。血の匂いに惹き付けられるように夜一は顔を寄せ、垂れた血を傷口まで舐め上げる。

ぞくり。喜助の背筋に情動が奔る。
「夜一サン・・・あの、これ位は温泉に浸かったらすぐに治りますから」
「湯で治してしまう前に味わわせろ」
そう言ってためらう事なく舌先で傷を撫でこそぐ。そういう事か、と喜助は諦めて夜一の好きに任せた。
変化の鬼道に通じ、平生から好んで猫に化ける彼女である。人の姿に戻っても猫の嗜好が抜けないのか、時折こうした形で血肉を好む。
一度など、寝ぼけて喜助の腕に手酷く噛み付き、驚いて問えば「猫になって雀を獲った夢を見ておった」と悪びれずに言ったことすらあった。

喜助は自分の胸元に揺れる夜一の黒髪を眺めた。表情は見えないが、好戦的な舌は執拗に喜助の傷口を苛み、ちりりとした痛みと共に理性の薄皮を剥いでゆく。
知らず、拳を握り耐えていた。乾いた口内を潤すようにそっと唾を飲み込んだ筈が、大きく音を立てて喉が鳴る。
ばつの悪さを隠すように喜助は「世の中には血で伝染る悪い病気もあるんスから・・・」と呻いた。
「・・・ほう? いずこかでそんな病を伝染されるような悪い遊びでもしおったか?」
「滅相も無い。ただ、お願いですからアタシ以外の人にこんな事しないで下さいよ」
「わかっておるよ」
そう言って唇を離す。

「だからお主も儂以外の者に傷などつけさせるでないぞ。喜助の傷は儂だけのものじゃ」
挑戦的に自分を見上げる一対の眼。金色の、獲物を独占する美しい獣の眼。
喜助はそれだけで、昂る。脳の芯まで這い寄る魅力的な痺れに、魂までも陶酔する。

「夜一、サ――・・・」
「さて、」
露わな肩を掴もうとした瞬間、伸びてきた不埒な手を見越したように軽く払い、するりと逃げられる。身を離した夜一は心地良さげに全身を伸ばし、肩を回した。
「第二戦じゃ。最近新しい技を試したくてのう。鬼道と白打を併せた術じゃ。・・・戦おうぞ、喜助よ」
そうして唇に付いた血をぺろりと舐め取る。ひどく野蛮で効果的な挑発。喜助の本能が呼応する。
「・・・それもいいですね」
挑発に応じて立ち上がる。にやり、顔が笑う。

愛刀に手を伸ばし、柄に手をかけてまず湧き上がるのは悦び。ただ身体を絡ませるよりも更に野蛮で純粋な戦いへの渇望。
目の前の相手もそれを求め、そして互いによってしか満たされないのを知っている。餓えているのだ、二人とも。

「いくぞ」
「こちらも」
構えあったその瞬間から、灯された火に全身の細胞が震え、血が滾る。本能が悦ぶ。そして笑う。
笑う。笑い続ける。


捕食し合うのなら心ゆくまで。
なまくらな理性など消し飛ぶ至高の遊戯に、ふたり、ふたたび、身を投じた。



   Fin.


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