時折僕は、空を見上げる。
  忙しい日常の中、ふと生まれた隙間に栄養を与えるように。
  そして空へと還っていった両親に伝える。


  父さん、母さん。
  僕は元気でいます。

  好きな人がいます。
  同じ道を志す仲間がいます。
  尊敬できる人に仕えています。

  心配しないでください。

  順風満帆の、人生でしょう?



『 逸れゆく星々に捧ぐ変奏曲 op.3 : The future is in silver fox's hand 』 − I.Kira
 


空は青く、快晴。
しばらく机に向かってばかりだった目には痛いほどだ。
ようやくひと段落した仕事の後の、心地よい疲労感に身を委ねながら僕は表を歩いていた。

副隊長という役職に就いて以来、忙しさにかまけてゆっくりする暇なんてあまりないけれど、だからこそ自分の自由になる時間を貴重に思えるようになった。
仕事は忙しいけれど、やりがいはあるし。
副隊長という立場上、同じ役職の・・・あの子と会う機会が多いのも、僕が仕事にやりがいを感じている理由だ。
そういえば、次の副隊首会はもうすぐだ。
最近はお互い忙しくて顔を会わせる機会もなかったけれど、もうすぐあの子の笑顔が見られるんだ・・・。

そんな事を考えながら、自然と緩みそうになる頬を抑えながら歩いていると、向こうから手を振りながらこちらに走ってくる人影が見えた。
その華奢な姿に、知らず心臓がどくりと跳ねる。

彼女だ。
・・・雛森くんだ!

「吉良くーん!」
満面の笑顔で走ってくる彼女の、鈴を転がしたような声が・・・僕の名前を紡いで。
それだけで僕は、春の陽だまりのように、幸せで満たされる。

「やあ、雛森くん」
さりげなく見えるように、ともすれば浮かれそうになる声を極力我慢して、挨拶した。
そんな僕の努力なんて彼女は全く知らず、ご機嫌でまくしたてる。
「ちょうどいいところにいた! ね、あーんして、あーん!」
「え、あの、雛森君? ・・・あーん」
「はいっ!」
「むぐっ・・・!? ん・・・って・・・、おまんじゅう?」
いきなり彼女は、子供に言うように僕に口を空けさせると、間髪入れずに手にした紙袋の中から何かを取り出して・・・僕の口に押し込んだ。
思わず噛み締めると、口の中にあんこの甘みが広がる。
「うん、うちの隊員達のおやつ用なんだけど、つい余計に買っちゃったから、おすそ分け。美味しい?」
「うん、あ・・・ありがとう雛森くん」
「どういたしまして!」
にっこりと、雛森くんは微笑んで。いきなりまんじゅうを食べさせられて驚きはしたけれど、そんな彼女の様子に僕もつられて笑った。
今日の彼女はいつも以上に機嫌がいいようだ。・・・何かいいことでもあったんだろうか?

彼女の様子をうかがうと、・・・なんだろう、いつもの雛森くんと違う。
どこか・・・より女のひとらしくなったような。
こういう言い方が彼女に似合うかどうか分からないけれど、・・・色っぽくなったというか。

見つめるうちに、ようやく気がついた。
微かに彼女の唇を染める、淡い紅色。
彼女の名前と同じ色。

「あの・・・雛森くん、もしかして、お化粧してる?」
「あ、・・・分かった!? 乱菊さんと七緒さんに無理矢理つけられちゃったの。薄く、口紅だけなんだけど」
「うん・・・あの・・・よく似合うよ。可愛い」
少しはにかんだ彼女に、心で思ったそのままを伝える。その裏にある僕の・・・雛森くんへの好意は、多分気づかれないのだろうけど。

「ありがとう! ・・・えへへ、藍染隊長もね、・・・可愛いって、言って下さったんだ」


『 藍染隊長 』

艶やかな、桃色の唇から。
その人の名が零れ出て。
僕の心臓は跳ねる。
・・・とても、冷ややかな衝撃として。

「・・・へえ・・・」
かろうじて、言葉を搾り出せた自分は偉いと思う。

・・・雛森くん。
気がついているかい?
頬を染めてそんなことを言う君は、・・・ただ上司の話をしているようには見えないよ?

いつの間にか、痛みを堪えるように、袴の端を握り締めていた。

「・・・あ、急がないと! このお饅頭ね、乱菊さんと七緒さんに持って行くんだ。 じゃあまたね、吉良くん!」
「ああ・・・うん・・・またね、雛森くん・・・」
顔を合わせた時同様に、彼女は小走りに駆け出して行ってしまった。
そんな背中に、僕は弱弱しい挨拶を向けることしか、もうできない。
・・・この声は彼女に聞こえたのか、どうか。

口に残っていた甘みが、今は・・・苦味へと転じた気がした。



口内を洗うように、唾をひとつ飲み込んだ時。
「いたいた、ようやっと見つけたわ。イヅル」
「い、市丸隊長!?」
背後からいきなり、僕の上司の声がした。
気配を感じなかったところを見ると、わざわざ自分の霊圧を消していたのだろう。
学生時代に僕らの命を救ってくれた尊敬する人だけど・・・時折こういう悪ふざけをしては、僕を困らせる。
「なかなか戻って来ぃひんから見にきたら・・・イヅルも隅に置けんなぁ」
市丸隊長は特有の笑みをさらに楽しそうに歪ませて、からかうように言う。
「え・・・何がですか」
「またまた。トボけなや。今話してたの、五番さんとこの雛森ちゃんやろ?」
「・・・見てたんですか!?」
「仲良う饅頭もらったりなんかして。やるやないの」
肘で小突かれて、答えに窮する。ただでさえ何を考えているかうかがい知れない人だ。僕の・・・彼女に対する気持ちも、どこまで気がついているのか・・・。
「僕は・・・別に・・・」
「雛森ちゃん、可愛いし、男共に絶大な人気あるからなぁ。・・・藍染はんも、男冥利に尽きるやろな」
「・・・・・・え?」
無難な答えをしようとした僕を無視して話を続ける市丸隊長の・・・最後の言葉が、引っかかった。


今、何と?
藍染隊長 『 も 』、・・・何だって・・・?

「あの子、藍染はんのこと好きなんやろ? 見てればイヤでも分かるわ。ホンマ、可愛らしいわぁ。あんな子が傍で熱い視線を送っとったら、藍染はんもまんざらやないやろね。大人で堅物に見えても結局は男やから」

僕はきっと狼狽して見えたろう。実際に・・・市丸隊長の言葉に、ゆっくりと精神を削ぎ取られていくような嫌な寒気がした。

・・・知っていた。思い知らされている。
彼女にはあの人しか見えていないと。
僕は 『 同期の友達 』 なのだと。

それでもいつか。遠い日でもいいからいつか、僕の声も耳に入れてくれればいいと思っていた。
・・・ひとまわりも歳の離れた相手への恋が、実らないであろう事を、期待すらした。

それなのに。
・・・それなのに。


「それにしてもイヅルの同期は優秀な子が多いなぁ。イヅルやろ、可愛いのに強い雛森ちゃんやろ、あと、剃り込みマユゲの・・・誰やったっけ?」
「阿散井くん、ですか?」
「そうそうその子や。アバライくん。ふと見かけたんやけど、今日も熱心に稽古しとったなぁ」
「えっ、そうなんですか。彼は今日、非番だと聞いていたんですが」

確か彼は今日、流魂街に墓参りに行くと言っていた。雛森くんがそのために花を選んだという事も聞いた。
彼の性格からいって、仕事は仕事、非番は非番と割り切って、休みの日ぐらいは鍛錬を休むと思っていたのだけれど・・・。その彼が、今日も稽古?
「非番やのに稽古に励んどんの? 感心感心。・・・ホンマ、上層部が目をかけるだけあるわ」
「・・・上層部が?」
「あらら、イヅルは知らんかったんか? ボクもちらっと聞いただけやけど、彼、上のお気に入りなんやて。能力あるってな。今こそ出世頭と違うけど、彼に見合う役職に空きができ次第、一気に引き抜くつもりらしいわ。もしかしたら、副隊長なんて通り越して隊長に上がるかも知れへんなぁ。卍解なんて結構ひょんな事で憶えてまうモンやし」

隊長の言う『上層部』とは・・・隊長以上の地位にいる実力者だ。勿論・・・副隊長である僕にとっては上の上にあたる人たちで・・・その人たちに目をかけられるという事は、将来の地位を約束されたに等しい。

同期の友人が僕よりも上に出世する。
喜ばしい。
喜ばしい、ことの筈だ。
同期として、それは喜ぶべきことだ。

・・・だが。

こうするべき、と、きつく縛った規範の奥で、どす黒い感情が頭をもたげる。


『 主席で入学した僕をさしおいて、流魂街出身の彼が出世するだと? 』


・・・分かっている。 こんな事は考えるべきじゃない。
こんな嫉妬は醜い。
僕はこんな感情を持つ者でありたくはない。


・・・でも。
再び僕の口と頭を、いやな苦味が侵食して、・・・もうそれを振り払えない。
蝕まれるような感覚が生々しく、身体に残った。


かろうじて、無理に平静を装って、
「そう、なんですか・・・。・・・それは・・・そうなれば・・・僕も嬉しいです」
そう、搾り出す。
「自慢できるトモダチ持って、シアワセやなぁ? ・・・さ、そろそろ行こか。ついておいで、イヅル」
「・・・はい」

そして僕は、にっこりと笑った上司のあとについて、仕事場へと戻る。

そうだ、僕には市丸隊長がいるじゃないか。

そう、思い直す。思い込ませようとする。自身に向かって。

この人についていけば、きっと問題なんて何もない。


だから、このまま。
僕は三の羽織のすぐ後を歩んでいこう。

そうするべきなんだ。きっと。

・・・何があっても。



  父さん、母さん。

  好きな人がいます。
  同じ道を志す仲間がいます。
  尊敬できる人に仕えています。


  ねえ。
  僕は幸せなんですよね?



   Fin.


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